風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちの前を、先立って行ってくださり

主ご自身があなたに先立って行き、
あなたと共におられる。
主はあなたを見放すことも、
見捨てられることもない。
恐れてはならない。
おののいてはならない。
申命記31:8

 

 私の羊は私の声を聞き分ける。
わたしは彼らを知り、
彼らはわたしに従う。
わたしは彼らに永遠のいのちを与える。
彼らは決して滅びず
誰もわたしの手から奪うことはできない。
ヨハネ10:27~28

 

 Ⅰコリント3:(1~3)4~8
 Ⅰコリント4:7~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句;2/13;木)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)ご自身が
私たちとともにいてくださって、
私たちの前を先立って進んでくださる、というのですね。
モーセの後を引き継いだ
ヨシュアとともにいてくださったように。

 

 だから、私たちは恐れていても、おののいていても
大丈夫なのだそうです。
羊が自分の羊飼いの声を聞き分け、
羊飼いについていくように、
恐れるままで、おののいているままで
この方について行けば、
この方が私たちを支え、守り、
永遠のいのちに導いてくださるのだそうですから。

 

 【父である神】は、私たちの肉の人(Ⅰコリント3:1~3)、
ご自身と思いを一つにして生きるように
との願いで造られていながら(創世記1:26)、
その造られた場に留まることを良しとせず、
もっと立派な者になろうとして、
「神の一人のようになり、
善悪を知るようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている私たち、
その肉の人(〔生まれたときからの私〕という霊)を、
エスの十字架刑での処刑に合わせて
処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださっているのだそうです。
 

 そして、墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の朝、
死人の中かから新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
エスが生きていることを見せ、
神の国のことを語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。

 

 そして、そのイエスを通して、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださって、
この方によって私たちの心に
ご自身の御思いを置いてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と一つ思いになり、
一つ心になるようにてくださるのだそうですから。
肉の人から、
【聖である霊】と呼ばれる方によって生きる霊の人に。


 だから、私たちは、
どんどん出て来る
肉(〔生まれたときからの私〕という霊)の思いを、
エスの十字架刑での処刑で
死んでいるものと認めて(計算して)、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いについて行くといいのだそうです。
羊が羊飼いの声について行くように。


 【父である神】は、使徒預言者
また、教える者たちを用いて
私たちの世話をして下さり、
成長させてくださるのだそうですから。
エスのように、自分の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが成ることを
求める者にと(ヨハネ6:38)。

 

私たちの前に先立って。
今日も。

 

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