風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

何を大切にしているかで、心のあり場所が決まる、ようですね。

私の道が確かになることを願います。
あなたの掟
(おきて)を守るために。
詩119:5

 

 イエスは、
天に上げられる時期が近づくと、
エルサレムに向かう決意を固められた。
ルカ9:51

 

 マタイ6:16~21
 Ⅰコリント11:27~34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/26;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)の掟を守る、
この方への愛のゆえに、
自由意思で、自分から進んで
この方と思いを同じくし、一つ心になって歩むという
私の道が確かにされ、堅くされますように、というのですね。

 

 「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです」(ヨハネ6:38)
と仰られるイエスは、
いよいよ、
その【父である神】から委託された出来事のクライマックス、
(あがな)い小羊として屠(ほふ)られる、
すべての人の身代わりとなり、
すべての人が、「神の一人のようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている責任を背負い、
神に背いた者、神に呪われた者となって(申命記21:23)、
木に掛けられる、
十字架刑で処刑される、
その時期が近づいたのを感じられ、
エルサレムへと毅然として進んでいかれたのだそうです。

 

 ご自身の死によって、
私たちの「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになって、
「的外れ」になっている
私たちの「生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、死んだものとし、

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いて、
【父である神】の御思いが私たちの心にあり、
受け入れる者が【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして歩む者になるようにと。

 

 だから、このこと、
エスの死によって自分を死んだものとしていただき、
エスを通して来て下さる【聖である霊】と呼ばれる方によって、【父である神】と思いを一つにして、
【父である神】の御心を行う道を歩ませていただきたい、
との願いを持たないままで「聖餐式」を受ける者は、
主イエスのからだと血に対して罪を犯すことのなる、
パウロは言うのですね。(Ⅰコリント11:27~29) 

 

 私たちは、宝のあるところ、そこに心もある者(マタイ6:21)
なのだそうです。
何を大切にしているかで、心のありかが決まるようですね。

 

 【父である神】は、私たちを、
神を愛し、神に思いがある、
天に宝を持つ者にしようとしていてくださるようですね。
今日も。

 

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