風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

望む善は行わず、望まない悪を行うばかりの私たちを

お前たちの罪が、
神への畏れを退ける。
エレミヤ書5:25

 

 私は自分の望む善は行わず、
望まない悪を行っている。
ロマ書7:19

 

 創世記37:3~4、12~14、23~35(36)
 マルコ10:32~34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/9;月)

 
 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちに季節にしたがって雨を与え、
刈り入れのときを守ってくださり、
私たちがこの方を畏れ敬うようにしてくださる方。

 

 けれども、私たちはこれを快く思わず、
この方と思いを一つにしようとせず、
この方に対立、対抗しする、「的外れ」な存在にいるのだそうです。

 

 善をしたいと願いながら、
そのしたいと思う善は行わないで、
しようと思わない悪を行ってしまう、「的外れ」な者に。

 

 年寄り子のヨセフに対する父親ヤコブの偏愛が
ヨセフに対する兄たちの憎しみを産み、
ついには、兄たちがヨセフを銀20枚で奴隷として売り飛ばすことになったように。(創世記37:3~4、12~14、23~36)

 

 【父である神】は、
そのような「的外れ」になっている私たちを買い戻そうとして、
【御子】である方を人間イエスとして人の世に派遣し、
エスは、その、【父】の御思いを受けて
エルサレムに向かって行かれたのだそうです。
祭司長たちや律法学者たちに引き渡され、
ローマ帝国の極刑である十字架刑での処刑を受けるために。(マルコ10:32~34)

 

 【父である神】は、私たちを、この支払われた代価、
エスのいのちによってあがない(買い戻し)、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
神の子の身分を着せ(ロマ8:15)、
神の子、
【父である神】と思いを一つにして生きる者、
神を畏れ敬う者としてくださっているのだそうです。
 

 だから、これを受け取って、
ご自分と思いを一つにして生きてほしいと。
祝福の中を。

今日も。

 

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