風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

戦争、民族は民族に、国は国に対して立ち上がり、地震、飢饉が起こる中で

お前たちはなんとゆがんでいることか。
造られた者が、造った者に言いうるのか、
「彼が私を造ったのではない」と。
陶器が、陶工に言いうるのか。
「彼には分別がない」と。
イザヤ書29:16

 

 皆互いに
謙遜を身に着けなさい。
Ⅰペトロ5:5

 

 ヨハネ15:9~17
 マルコ13:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/25;水)


 私たち人間は、
天の神、【主】の創造の目的から「的外れ」になっていて、
ゆがんだ、逆さな考え方をしているもののようです。

 

 造られた者が、造った者に
「彼が私を造ったのではない」とか、
「彼には分別、わきまえがない」と、
あるいは、さらに、「造り主などはいない」と言って。

 

 それは、私たちは、
「(神の御座をおおっている)密雲の頂に上り、
いと高き者になろう」(イザヤ14:14)とする性質を持つ、
高ぶる者だからなのでしょうね。

 

 だから、「みな互いに謙遜を身に着けなさい」
と勧められているのでしょうか。

 

 この「神の一人のようになり、
善悪を知る者」となって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けられた十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑が済んでいるもの、死んだものとしていただき、
 

 死んで墓に葬られ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰された
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、

 

 この方が私たちの心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるようにしていただいて。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 イエスが私たちを愛してくださっている、その愛に留まり、
互いに愛し合ってほしいとの【父である神】の御思いのとおりに。

 

 この世の中が、
「私こそキリストだ」と
キリストの名を名のる者が大勢あらわれて多くの人を惑わし、
戦争と戦争のうわさ、
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
あちこちで地震があり、飢饉ききんが起こるようになる中で。(マルコ13:1~13)

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって
謙遜な思いも心に置いていただき、
造り主である【父である神】の御思いのとおりに生きる者へと。
今日も。

 

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