風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

光の中を、勝利の叫びをあげながら歩み

いかに幸いなことでしょう。
勝利の叫びを知る民は。
主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます。
詩89:16

 

光の子として歩みなさい。

光から、
あらゆる善意と正義と真実が生じるのです。
エフェソ書5:8~9

ヘブル書10:1、11~18

マルコ14:32~42(通読箇所)

(ローズンゲン日々聖句4/3;金)


 イエスは、12弟子たちと
「最後の晩餐」と呼ばれている過ぎ越しの食事をした後、
ゲツセマネの園に行かれ、
「わたしは苦しみのあまり死ぬほどです」と言われるほど深く悩み、

地面にひれ伏して祈られたのだそうです。
 

「アバ、父よ。あなたは何でもおできになります。
どうか、この杯をわたしから取り除けてください」と。
 

 そして、「わたしの望む事ではなく、
あなたがお望みになることが行われますように」と立ち上がり、

「(【父である神】のご計画の)時が来ました。
見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
さあ、行こう。
見なさい。私を裏切る者が近くに来ています」と、
イスカリオテのユダに引き連れられてイエスを捕らえに来た人々に
ご自分を渡されたのだそうです。(マルコ14:32~42)

 

 そして、私たち、すべての人間の
罪(的外れの存在)が解決されるための、
永遠に有効な一つのいけにえとなって
十字架刑での処刑を受けられ、
死んで葬られ、
「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているものとした後、

 

三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたのだそうです。

 

 そして、40日にわたって何度の弟子たちに現れ、
神の国のことを語った後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。
永遠に。

 

 【父である神】は、このイエスを通して、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によってご自身の御思いを私たちの思いの中に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにされ、
受け入れる者がご自身と一つ心になって生きることができるように
されるのだそうです。

 

「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」
と言えるようにするために。(ヘブル10:11~18、エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 それで、これを受け取った者たちは、
「私たちを愛してくださった方によって、
私たちは圧倒的な勝利者です」(ロマ8:33~37)と
勝利の叫びをあげる者ともしていただき、
光そのものである神の御思いの中を歩む者とも
していただけるのだそうです。


あらゆる善意と正義と真実のうちに
光が結ぶ実を見ながら。
今日も。

 

 

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