風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

預言は、イエスにおいて実現しているのですから

なぜ国々はいうのか、
「彼らの神はどこにいる」と。
私たちの神は天にいまし、
御旨のままにすべてを行われる。
詩115:2、3

 

 世界が造られたときから、
目に見えない神の性質、
つまり神の永遠の力と神性は
被造物において現れており、
これを通して神を知ることができます。
ロマ1:20

 

 ルカ18:31~43
 マルコ14:43~52(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/4;土)


 人々はいうのですね。
「彼らの神はどこにいるのか。神なんかいないじゃあないか」と。

 

 私たちの神は天におられ、
思われるままに、望むところのすべてを、
ことごとく、行われる方なのだそうです。

 

 この神、天の神、主は、
私たちが神について知りうる事柄を、
私たちに明らかにしておられるのだそうです。

 

 神の目に見えない性質、神の永遠の力と神性は、
世界が創造されたときから被造物において知られ、
はっきりと認められているのですね。
これを通して神を知ることができるようにと。

 

 イエスは言われました。
「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。
人の子について、預言者たちを通して書きしるされていることの
すべてが実現するのです。

 

 人の子は異邦人に引き渡され、
彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばをかけられます。
彼らは人の子をむちで打ってから殺します。
しかし、人の子は三日目によみがえります」と。

 

 そして、このイエスの言葉のすべてが
2000年ほど前にこの言葉のとおりに実現しているのですから。
歴史的事実として。

 

 また、キリストが来られる「そのとき、
目の見えない者の目は開かれ、
耳の聞こえない者の耳はけられる。
そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、
口のきけない者の舌は喜び歌う」(イザヤ35:5)と
預言されています。

 

 そのとおりに、イエスは、エリコ街道で、
ダビデの子の(メシヤ〔キリスト〕に対する呼びかけ)エス様、
私をあわれんでください」と叫ぶ
物乞いをしていた目の見えない人を呼び寄せ、
目が見えるようになさったのだそうですから(ルカ18:35~43)。

 

 また、ゼカリヤ書13:7では、
「剣よ、目覚めよ。
わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ。
――万軍の【主】のことば――。
羊飼いを打て。
すると、羊の群れは散らされて行き……」と預言されています。

 

 その言葉のとおりに、
祭司長たち、律法学者たち、長老たちから差し向けられた人々は、

まるで強盗にでも向かうように剣や棒を手にして
エスを捕らえに来たのだそうです。

 

 そして、弟子たちはイエスを見捨てて逃げ去ったのですね。(マルコ14:43~50)

 

 このように、聖書のキリスト預言は、
エスにおいてそのとおりが実現しているのですから。
 

 思われるとおりに事を行われる生きた神がおられること、
そして、この歴史の中で私たちを取り戻そうと
御業を行っておられることが私たちに分かるように、と。
今日も。

 

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