風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

悲しみを、喜びに変えてくださり

御救いの喜びを再び私に味わわせ、
自由の霊によって支えてください。
詩51:14

 

あなたがたは悲しむが、
その悲しみは喜びに変わる。
ヨハネ16:20

 

 ルカ22:1~6
 マルコ15:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/8;水)

 

 この詩篇の作者ダビデは、
天の神、【主】、『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)に、
私の罪を赦し、御前に出て御顔を仰ぎ見、御声を聞く喜びを
もう一度、味わわせ、
自由の霊、仕えることを喜ぶ霊で私を支えてくださいと
願っているのですね。

今の悲しみを喜びに変えてください、と。

 

 イエスがここで言っておられるとおりに、
エスの弟子たちは、悲しむことになったのだそうです。

エスが十字架刑での処刑を受け、死んで、
弟子たちの前からいなくなってしまうので。

 

 12弟子の一人、イスカリオテのユダ
祭司長、律法学者たちに、銀30枚で、民衆のいないところで
エスを引き渡すと約束をしたのだそうです(ルカ22:1~6)。

 

 そして、真夜中、
エスと他の弟子たちがゲツセマネの園にいるところへ
祭司長、律法学者たちから差し向けられたしもべたちを案内し、
エスを捕らえさせたのだそうです。

 

 捕らえられたイエスは、
ユダヤのサンヘドリン(最高法院)の裁判で死刑とされました。

 

 けれども、当時、ローマ帝国支配下にあったユダヤには、
死刑執行の権限が与えられていなかったので、
祭司長たちはローマ帝国のユダや総督ピラトのもとに訴え出て、
エスを処刑させようとしたのだそうです。

 

 そして、
エスには罪が認められないので釈放しようとするピラトに、
群衆を扇動して「イエスを十字架につけろ」と要求し続けさせ、
ついにピラトからイエスの死刑判決を引き出すことに成功し、
エスは十字架刑で処刑されることになったのですね。(マルコ15:1~15) 
それで、弟子たちは悲しむことに。

 

 けれども、処刑され、墓に葬られたイエスが、
三日目、日曜日の朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、

弟子たちは再びこの復活されたイエスに会えたので、
エスがおっしゃったとおりに、
弟子たちのその悲しみは喜びに変わったのだそうです。

 

 そのように、私たちも造り主である神から離れ、さまよい出て、
悲しい人生を歩んでいますが、
このイエスによって救いの喜び、
【父である神】の御前に出、御顔を仰ぎ見る喜びを味わうように
していただけるのだそうです。

 

 このイエスが派遣してくださる自由の霊、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思い、
仕えることを喜ぶ思いも心に置いていただいて。


悲しみから救いの喜びへと。
今日も。

 

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