風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちが、罪に死んで、義によって生きる者になってほしい、と

我々の罪が我々自身を告発しています。
主よ、
御名にふさわしく行ってください。
エレミヤ書14:7

 

 キリストは十字架にかかって、
自らその身に
私たちの罪を担ってくださいました。
私たちが、罪に対して死んで、
義によって生きるようになるためです。
Ⅰペㇳロ2:24

 

 Ⅰペトロ3:18~22
 マルコ15:42~47(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/11:土) 


 私たちの罪、とがが私たちを告発しているとき、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自身のお名前のために、
お名前にふさわしく事を行ってくださるのだそうです。

 

 「義なる神」の御名にふさわしく、
【父である神】は、
【御子である神】を人間イエスとして人の世に遣わし、
エスはみずから、その身に私たちの罪を担って、
十字架刑での処刑を受け、
私たちを死んだものとしてくださったことによって、
神の義を全うされたのだそうです。

 

 そして、「愛である神」の御名にふさわしく、
【父である神】は、
死んで墓に葬られ、三日目、日曜日の朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスをとおして、
私たちに、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣し、
この方によって御自身の御思いを私たちの心に置き、
受け入れる者がご自身の御思いと思いを一つにして、
愛の中を、新しく、
義によって生きるようにしてくださっているのだそうです。

 

 「われわれのかたちとして、われわれの似姿に」(創世記1:26)、

エスが言われる、
「父よ。あなたが私のうちにおられ、
わたしがあなたのうちにいるように、
彼らもわたしたちのうちにいる」(ヨハネ17:21)者に、と。

 

 正しい方イエスが、正しくない私たちの身代わりになられて、
罪のための苦しみを受け、
肉においては死に渡され、
霊においては生かされて、
私たちを【父である神】に導こうと。(Ⅰペテロ3:18)

 

 あの日、安息日の前日である金曜日のこと、
エスは、朝の9時に十字架につけられ、
午後3時に息を【父である神】にお渡しになりました。
 

 そのとき、アリマタヤのヨセフが勇気を出して
総督ピラトにイエスのからだの下げ渡しを願い出、
ピラトは、ローマ兵の百人隊長を呼び出し、
エスの死を確認して、
エスの遺体をヨセフに下げ渡したのだそうです。

 

 それで、イエスは、ヨセフが自分のために造っておいた、
岩を掘った墓に納められれることになり(マルコ15:42~47)、
日曜日の、復活の朝を迎えることになったのですね。

 

 そして、50日後のペンテコステ(五旬節)に、
【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちのところに来られ、
私たちが神の霊によって義の中を生きるという
新しい契約が成就する日を迎えることに。


 【父である神】は、その御名にふさわしく、
私たちを取り扱ってくださるのだそうですから。
今日も。

 

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