風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

目のひとみのように、私たちを守られ~復活の希望の中で~

神は豊かな憐れみにより、
私たちを新たに生まれさせ、
生き生きとした希望を与えて下さった。
Ⅰペテロ1:3(4/19の週の聖句)

 主はご自分の民を
ひとみのように守られた。
申命記32:10

 小さな群れよ、
恐れるな。
あなたがたの父は
喜んで神の国をくださる。
ルカ12:32

 ヨハネ20:19~20(21~23)24~29
 詩16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/19;Ⅲ日曜)


 【父である神】は、
ご自分の大きなあわれみのゆえに、
私たちに、
十字架刑での処刑を受けて死に、
墓に葬られたイエス・キリスト
死者の中からよみがえられたことによって、
【聖である霊】と呼ばれる方を遣わし、

 

この方によって私たちを新たに生まれさせ、
生き生きとした希望を与えてくださっているのですね。

 

私たちをご自分の目のひとみのように大事にし、守られて。
 

 私たちは小さなものであっても、
喜んで神の国を相続する者にしてくださって。


 その日、
エスが十字架刑で処刑され、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られた

翌々日の週の初めの日の夕方のこと、
弟子たちはユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけていたのですが、
エスが来て彼らの真ん中に立たれたのだそうです。
そして、「平安があなたがたにあるように」と言い、
手と脇腹を彼らに示されたのだそうです。


 ところが、そのとき、
12弟子の一人、トマスはそこにいなかったのですね。
それで、「私たちは主を見た」と言うほかの弟子たちに言ったのだそうです。

 

「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、
その脇腹に手を入れて
ローマ兵が刺した槍の跡に触れてみなければ、
決して信じません」、と。

 

 八日後、次の日曜日のこと、
弟子たちは再び家の中におり、
トマスも彼らと一緒にいるとき、
戸には鍵がかけられていたのに、
エスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、
「平安があなたがたにあるように」と言われ、

 

それから、トマスに
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい」、
と言われたのだそうです。

 

 トマスは、イエスに、「私の主、私の神よ」と答え、
エスは彼に
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。
見ないで信じる人たちは幸いです」と答えられたのだそうです。(ヨハネ20:19~20、24~29)

 確かに、【父である神】はイエスをよみがえらせなさったのですね。
「あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、
あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです」(詩篇16:10)と書かれているとおりに。

 

 【父である神】は、この、イエスが十字架刑で処刑され、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたことにより、
「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊の処刑が終わり、
もう、問われるべき責任は残っていないことを証明され、

 天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
私たちの思いの中にご自身の御思いを置き、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにしてくださって、
私たちがご自身と思いを一つにして、
新しく生きるようにしていてくださるのだそうです。

 

 今、着ている肉体を脱ぐことになっても、
復活されたイエスと同じような
新しい霊のからだを着せてくださって。
 

 神の国で、ご自身と思いを一つにしながら、
いつまでも、一緒にいるように、と。
今日も。

 

 

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