風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちを繁栄させ、それを喜びとされて

主は
あなたの先祖たちの繁栄を
喜びとされたように、
再びあなたの繁栄を喜びとされる
申命記30:9
 

 イエスの言葉:
わたしが父の掟を守り、その愛に留まっているように、
わたしの掟を守るなら、わたしの愛に留まっていることになる。
それによって、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、
喜びが満たされるためである。ヨハネ15:10~11
 使徒8:26~39
 Ⅰペトロ1:17~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/25:土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
先祖たちを繁栄させ、それを喜びとされたように、
私たちも繁栄させて喜ばれるのだそうです。

 

エスが、
【父である神】の愛に留まって、
その御思いのとおりを生きられたように、
私たちがイエスの愛の中に留まって、
エスの御思いを受けて生きていくなら、
エスの喜びが私たちの内に来て、
私たちも喜びでみたされるのですね。

 

 イエスが、【父である神】の右の御座にあって派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が、
私たちの心に
【父である神】と一つ思いになっておられる
エスの御思いを置き、書きしるしてくださるのですから。

 

 ピリポに、「立って南へ行き、
エルサレムからガザに下る道に行きなさい」と示し、
「近寄って、あの馬車と一緒に生きなさい」と言われて、
その馬車の中でイザヤ書を読んでいた、エチオピア人、
女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理している宦官に、
ほふり場に引かれていく羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。
彼の時代のことを、だれが語れるだろう。
彼のいのちは地上から取り去られたのである」(イザヤ53:7~8)
との、700年ほど前に書かたこの聖書のことばが
エスのことであることを話し、
宦官はイエスを自分の救い主てして受け入れ、
バプテスマを受け、
喜びながらエチオピアに帰ったように。(使徒8:26~39)

 
 イエス・キリストは、
世界の基が据えられる前から知られていましたが、
この終わりの時に、私たちのために現れてくださり、
あの十字架刑での処刑を受けてくださって、
その流された血(命)によって、
私たちを先祖伝来のむなしい生活からあがない出し、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
人をそれぞれのわざにしたがって公平に裁かれる方を
父と呼ぶ身分を与えてくださいました(ロマ8:14、15)。

 【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちが、この世に寄留しているときを
神との関係の中で慎み深く生きるようにしてくださるのだそうです。今日も。

 

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