風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

赦してくださり、赦す者ともしてくださって

わたしは地上から上げられるとき、
すべての人を
自分のもとへ引き寄せよう。
ヨハネ12:32(5/24の週の聖句)

 

赦しは主のもとにあり、
人は主を畏れ敬うのです。
詩130:4

 

主が
あなたがたを赦してくださったように、
あなたがたも
同じようにしなさい。
コロサイ書3:13

 

 ヨハネ16:5~15
 詩131(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/24;Ⅳ日曜)

 
 イエスは言われたのですね。
「地上から上げられる」、
十字架刑によって、ということのようです。

 

 イエスが十字架刑での処刑を受けることが、
すべての人の罪の赦しの道が開かれることになる、と。

 

 【父である神】は、
御子である方を人間イエスとして人間の世に派遣し、
この方がおよそ33歳のころ、十字架刑で処刑し、
その、イエスが受けられた処刑で、
私たちを処刑済みになっていることに
してくださるのだそうですから。


 イエスは、
十字架にかかられる前夜の夕食の席で、
弟子たちに言われました。

「わたしは初めからこれらのことを話すことはしませんでした。
それはあなたがたとともにいたからです。

 

 しかし今、わたしは、
わたしを遣わされた方のもとに行こうとしています。

 

 わたしは真実を言います。
わたしが去っていくことは、あなたがたの益になるのです。
去って行かなければ、
あなたがたのところに助け主はおいでになりません。
でも、行けば、
わたしはあなたがたのところに助け主をつかわします。

 

 あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、
今あなたがたはそれに耐えられません。
しかし、その方、すなわち真理の御霊みたまが来ると、
あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。
御霊は自分から語るのではなく、
聞いたことすべて語り、
これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
 

 御霊はわたしの栄光を現されます。
わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。
ですからわたしは、
御霊みたまがわたしのものを受けて、
あなたがたに伝えると言ったのです」(ヨハネ16:5~15)と。

 

 だから、この方が、
エスの、つまり【父である神】の「赦す」御思いを
私たちの心に置いてくださるので、
私たちのうちにもこの神の赦す御思いがあるようになり、
私たちも人を赦す者にもしていただけるというのですね。

 

それで私たちは、
まるで、自分で人を赦せるかのように心おごらず、
目を高ぶらせず、
自分の力の及びもつかない大きなことやくすしいことに
足を踏み入れず、
乳離れした子が母親とともにいるように、
たましいをやわらげ、静め、
とこしえまで、主を待ち望む(詩篇131)のですね。

 

【聖である霊】と呼ばれる方が働かれるのを。
この新しい週も。

 

 

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