風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

貧しさと、孤独の中で

主よ、
御顔を向けて、私を憐れんでください。
私は貧しく、孤独です。
詩25:16

 

病人はイエスに答えた。
「主よ、
水が動くとき、
私を池の中に入れてくれる人がいないのです。
私が行くうちに、
他の人が先に降りていくのです。」

エスは言われた。
「起き上がりなさい。
床をかついで歩きなさい。」
ヨハネ5:7~8

 

 使徒1:12~26
 Ⅱテモテ1:13~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/28;木)


 私たちが、貧しく、孤独で、一人で苦しんでいるとき、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)はおっしゃるのですね。
「わたしを仰ぎ望め」と。

 

 あのとき、38年も病気にかかっていて、
病をいやしてほしくって
ベテスダの池のそばで横になっていた男性が、
エスが何者であるかを知らないまま、
現状のそのまま、ありのままをイエスに訴えていったように。

 

 彼は、イエスが言われたとおりに、
起きようとしたら起きることができて、
下に敷いていた物を巻こうとしたら、それができて、
それをかついで歩こうとしたら、そうできたのだそうです。

 

 

 オリーブ山で、イエスが上げられ、
雲がイエスを包み、見えなくなったのを見送った弟子たちは、
エスが命じられたとおりにエルサレムに帰ったのだそうです。
 

 そして、「彼の務めは、ほかの人が取るように」との
詩篇のみことばによって、
12使徒から抜けたイスカリオテのユダの代わりに、
マッティアを12使徒に加えたのだそうです。
 

 イエスの復活の証人として。
エスが、ヨハネからバプテスマを受け、
キリストとしての歩みを始められた時から、
天に上げられた日まで、
いつも、イエスと行動を共にした人たちの中から。

 

 「すべての人の心をご存じである主よ。
あなたがお選びになった一人をお示しください」と願いながら、
使徒職という奉仕の場へ。(使徒1:12~26)

 

 オネシポロが、パウロがエペソにいる時にも、
ローマの獄中にいる時にも、
パウロによく奉仕したように。(Ⅱテモテ1:16~18)

 

 私たちも、現状のありのまま、そのままを、
この方の御前に差し出し、見ていただきながら
この方の御思いについて行く歩みを。
今日も。

 

 

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〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

 

 

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