風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自分が、何かをなすということではなく、この方の御わざの中へと

ゴリアテへのダビデの言葉:
お前は剣や槍や投げ槍で
私に向かって来るが、
私は万軍の主の名によって
お前に立ち向かう。
サムエル記上17:45

 

立って、
真理を帯びとして腰に締め、
正義を胸当てとして着け、
平和の福音を告げる準備を
履物としなさい。
エフェソ書6:14~15

 

 Ⅱコリント3;2~8(9)
 Ⅱテモテ4:1~8(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句6/4;木) 


 私たちが戦う宣教の戦い、
それは、私たちの戦いではなく、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)の戦いなのですね。

 

 それで、よろいに身を包み、兜をかぶり、
剣と槍と投げ槍で武装して向かって来る
大男のペリシテ人ゴリアテに対して、
若者のダビデは、
この方の名によって戦い、勝利を収めたのだそうです。

 

 神は、私たちにも、
真理を帯びとし、
正義を胸当てとし、
平和の福音を告げる準備を履物とし、
この方への信頼を盾とし、
救いのかぶとをかぶり、
御霊みたまの剣である神のことばを手に取たせてくださって、
前進させてくださるのだそうです。
 

 自分で何かを成し遂げようということではなく、
この方が、私たちを、

エスが受けられた十字架刑で処刑で、
「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊に死んで、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
心にご自身の御思いを置いて、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、

受け入れる者が、ご自身と思いを一つにして生きる、という
「新しい契約」(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23に仕える者としてくださるのだそうですから。
 

 人を義とする務め、
文字に仕える者ではなく、
【聖である霊】と呼ばれる方に仕える者としてくださって。

 

 文字は殺し、
【聖である霊】と呼ばれる方は
私たちを生かしてくださるのだそうですから。(Ⅱコリント3:2~9)

 

 

 ただ、人々は、健全な教えに耐えられなくなり、
真理から耳をそむけ、
耳に心地よい話をする教師を寄せ集め、
作り話しにそれて行くようになるのだそうです。

 

 そのような中でも、天の神、主は、私たちを、
時が良くても悪くてもみことばを宣べ伝える者にし、
忍耐の限りを尽くし、
絶えず教え、責め、戒め、勧めるようにしてくださり、
 

苦難に耐えて、神のことばを伝える働きをし、
自分の務めを十分に果たさせてくださるのだそうです。

 

 勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、
信頼関係を持ち続けて、
ご自身と、
また、生きている人と死んだ人をさばかれるイエス・キリスト
御前に出させ、
義の栄冠を授けようと。(Ⅱテモテ4:1~8)

 

 私たちも、
主の御名によるこの戦いの中に。
今日も。

 

 

(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、

葬儀をキリスト教でしたい
また、婚活で広く出会いを求めたい

等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

 

 

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]