風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神と心を一つにする者に。家族として

あなたがたはもはや、
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、
神の家族です。
エフェソ書2:19(7/26の週の聖句)

 

造り主を尊ぶ人は
乏しい人を憐れむ。
箴言14:31 
 

エスの言葉:
わたしの兄弟である
この最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。
マタイ25:40

 ヨハネ6:1~15
 詩51(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/26;Ⅳ日曜) 


 私たちは、キリストから遠く離れ、
イスラエルの民からは除外され、
約束の契約については他国人で、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。

 けれども、そのような私たちを、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
なお、いとおしみ、大切に思ってくださって、
聖なる民に属する者、神の家族としていてくださるのだそうです。

 【父である神】は、
人となられ、私たちすべての人間の身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けられた【御子なる神】、
エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって、
ご自身の御思いを私たち一人ひとりの心に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者が
ご自身と思いを一つにして生きるようにしていてくださって。

 

 それで、この、私たちの造り主である方を尊ぶ人は、
この方が思っておられるように
乏しい人、貧しい人を心に留めるようになるのだそうです。

 イエスが、私たち一人ひとりを兄弟と呼んでくださり、
その最も小さい者の一人にしたことを、
エスご自身にしてくれたことと受け取っておられるように。

 

 

 イエスが舟に乗って、
ガリラヤ湖の向こう岸の寂しい所へ退かれたとき、
人々は岸沿いに歩いてイエスを追いかけて来たのだそうです。

 それで、イエスは、
人々を空腹のまま帰らせたら、途中で弱ってしまうだろうと
かわいそうに思われ、
12弟子の一人、ピリポに言われたのだそうです。
「どこからパンを買って来て、この人たちにたべさせようか。」
 

 ピリポは、答えた。
「一人ひとりが少しずつ取るにしても、
200デナリ(労働者200日分の日当)のパンでは足りません。」

 

 たまたま、少年の一人が持っていた
大麦のパン5つと魚2匹があったので、
エスは、「人々を座らせなさい」と言われ、
天を見上げて神をほめたたえ、感謝の祈りをささげてから裂き、
弟子たちに渡され、
弟子たちはそれを人々に配ったので、
人々は食べて満腹しだそうです。
女、子どもを除いた、男だけでも5000人いた人々が。

 そして、イエスは、
「一つも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい」
と言われたので、弟子たちが集めると、
大麦のパン5つを食べて余ったパン切れで、
12のかごがいっぱいになったのだそうです。(ヨハネ14:1~15)

 

 【聖である霊】と呼ばれる方は、
そのような神の御思いを
私たちの心に置いてくださるのだそうですから。


 それで、私たちもダビデのようにうたうのですね。
「神よ 私にきよい心を造り、
揺るがない霊を 私のうちに新しくしてください。
私を あなたの御前から投げ捨てず 
あなたの聖なる御霊みたまを 
私から取り去らないでください。
あなたの救いの喜びを私に戻し
仕えることを喜ぶ霊で 私を支えてください。」(詩篇51:10~12)と。

この新しい週も。

 

 

 

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