風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

聞く耳のある者は聞きなさい、と

主なる神の前で沈黙せよ。
主の日は近づいている。
ゼファニア書1:7
 

聞く耳のある者は聞きなさい。マルコ4:9

 

 Ⅰコリント10:16、17
 マルコ4:1~9(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句7/30;木)


 私たちは、心の中のどこかに
「神は、良いことも悪いこともしない」と思っているところがあります。

 

 けれども、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。
「口をつぐめ。
【主】の日は近い」、と。

 

 天の神、【主】が、私たち一人ひとりを
そのやって来た仕業に応じて報いられる日が近いのだから、と。

 

 だから、口をつぐみ、
自分の理性で善し悪しを判断し、
あれこれ思うことをやめるように、と。
聞く耳のある者、聞く心のある者は聞きなさい、と言われる。

 

 同じ神からのことばを聞いても、
聞く者の心の状態で結果は大きく変わるのですから。
農夫によって蒔かれた種が、
ある種は道ばたに落ち、鳥が来て食べてしまい、

 また、土の薄い岩地に落ちて、
土が深くないのですぐ芽を出したが、根づかず、枯れてしまい、

あるいは、いばらの中に落ちて、
いばらが伸びてふさがれてしまうように。

 けれども、耕された良い地に落ちれば、
育って実を結び、30倍、60倍、100倍になる、と。(マルコ4:1~9)

 

 神である【主】は、私たちが、
聖餐式で、一つの杯からのぶどう酒を飲み、
裂かれた一つのパンを食べることで、
一人ひとりが、イエスの一つのからだに加えられていることを
確認しあうように(Ⅰコリント10:16、17)、と言われました。

 

 飲んだぶどう酒、食べたパンが
食べた者のからだと一つになるように、
私たち一人ひとりも、
エスの御思いがわたしの思いの中にあり、
私の思いがイエスの御思いの中にある、
一つになる関係に入るように、と。

 

 十字架刑での処刑を受けて死に、
「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになり、
「的外れ」になっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑を受けて死んだものとしてくださっているイエス

 

 墓に葬られ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
この方が、私たちの心に、
【父である神】の私たち一人ひとりに対する御思いを置いて、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者、聞く耳のある者が
【父である神】と思いを一つにして生きるように、
と招いていてくださるのだそうですから。

 

 聞く耳のある者は聞きなさい、と。
自分の理性の、善し悪しの判断に沈黙して。
今日も。

 

 

(聖書についての疑問、
近くの教会を知りたい等の方、

また、婚活で広く出会いを求めたい

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉

 

 

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]