風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

この方からの一方的な恵みとして

主は私たちを、
罪に応じてあしらわれることなく、
私たちの
悪に従って報いられることもない。
詩103:10

私たちは、
主イエスの恵みによって救われると
信じています。
使徒15:11
 

 Ⅰコリント12:27~13:3
 マルコ5:1~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/6;木)
 

 正義という面から言うと、
神は、私たちの罪に応じて私たちを扱われ、
私たちの悪に従って報いられるべきなのですね。

 

 しかし、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、私たち人間に
愛とあわれみをもって対してくださっているのだそうです。

 私たちの受けるべき刑罰は、
全部、御子イエスの上に置いて、
この方を十字架刑で処刑し、
このイエスが受けられた処刑によって、
私たちを処刑が終わっているもの、
刑罰が残っていない者と手続きしてくださって。

 そのうえで、このイエスを通して私たちに
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって
ご自身の御思いを私たちの心に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように
してくださって。

 

 そして、これを受け取るようにと、
恵みの出来事として
私たちに差し出していてくださるのだそうです。
私たちを愛してくださることが一番大切なこととして。

 

 それでイエスは、
ガリラヤ湖の向こう岸、
ゲラサ人の地に行かれたときも、
汚れた霊につかれた人を、
「汚れた霊よ、この人から出て行け」と命じて、
その霊どもの力から解放してくださって。

 そして、「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。
そして、主があなたに、どんな大きなことをしてくださったか、
どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい」と言われて。(マルコ5:1~20) 

 

私たちにも、
信頼してこの恵みを受け取ってほしい、と。
今日も。

 

 

 

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