風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちを、喜び祝い、楽しませよう、と

神に従う人は誇らかに喜び祝い、
御前に喜び祝って楽しむ。
詩68:4

 

主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい。
フィリピ書4:4

 

 エフェソ書5:15~20
 マルコ6:7~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/11;火)

 

 

どうか、
この僕の願いにも、
あなたの民イスラエルの願いにも
御目を向け、
いつあなたに呼びかけても
彼らに耳を傾けてください。
列王記上8:52

 

わたしの名によって
わたしに何かを願うならば、
わたしはかなえてあげよう。
ヨハネ14:14

 Ⅰコリント10:23~31
 マルコ6:14~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/12;水)


 神に従う人、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)との、
あるべき関係、正しい関係に生きる人たちは、
この方の御前で喜び祝い、
小躍りして喜び楽しむのだそうです。
間もなく、天の雲に乗って再び来られる方の御前で。

 

 詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、
主に向かって心から賛美の歌をうたいながら、
いよいよ、【聖である霊】と呼ばれる方に満たされ、
この方によって
【父である神】の御思いが何であるかを示していただきながら。

 

 イエスは、
「わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、
わたしはそれをしてあげます」と言っていてくださっています。

 しかし、「すべてのことが許されている」と言いますが、
すべてのことが益になり、人を育てるとは限りません。

 【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちの心に来る
【父である神】の御思いは、
自分の利益を求めず、ほかの人の利益を求める思い、
自分の利益ではなく、多くの人の利益を求め、
すべてのことで、すべての人の喜びとなることを求める思い、
なのだそうです。(Ⅰコリント10~23~31)

 

 イエスが、12人の弟子たちに、
汚れた霊を制する権威をお授けて、
二人ずつ、村々にお遣わしになり、
弟子たちを通して多くの悪霊を追い出し、
油を塗って多くの病人をいやされたように(マルコ6:7~13)、
私たちも、それぞれの場に派遣してくださるのですね。
御心が成るように、と。

 すべての人が、ご自身とのあるべき、正しい関係、に立ち返り、
喜び祝い、喜び楽しむように。
今日も。

 

(聖書のことばについての疑問、
近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、

葬儀をキリスト教でしたい
また、婚活で広く出会いを求めたい

等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

 

 

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]