風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

香油を頭に注ぐように、私たちにも来てくださり

神は、高慢な者を敵とし、
謙遜な者に恵みをお与えになる。
Ⅰペテロ5:5(8/23の週の聖句)

 

どのような時にも神を信頼し、
御前に心を注ぎ出せ。
神は私たちの避けどころ。
詩62:9

 

何事でも
神の御心に適うことを私たちが願うなら、
神は聞き入れてくださる。
これが
神に対する私たちの確信です。
Ⅰヨハネ5:14

 

 ルカ18:9~14
 詩140(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/23;Ⅳ日曜)

 

 

女は香油をイエスの頭に注ぎかけた。
何人かは憤慨したが、
エスは言われた。
「するままにさせておきなさい。
この人はわたしに良いことをしてくれたのだ。」マルコ14:3~4、6

 

 マタイ23:1~12
 マルコ8:22~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/24;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
高ぶる者に敵対し、
謙遜な者、へりくだる者に恵みを与えられる方。

 

 だから、どのような時にもこの方に信頼し、
この方の御前に心の中のすべての思いを注ぎ出して
大丈夫なのだそうです。
ありのままの、本当の自分を。

 

 私たちは、〔生まれたときからの私〕から出てくる思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
「死んだ」とされたものから出て来たもの認め、

 

 イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いをわが思いとして生きていく者に
していただけるのだそうですから。

 

 そして、神は、そのご自身と心を一つにしている者の願いを、
その願いのとおりに聞き入れてくださるのだそうですから。

 

 神の前に立って、
「神よ。私はほかの人たちのように、
奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないことを、
あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、
十分の一をささげております」と言う、
立派な信仰者ではなく、

 

 遠く離れて立ち、目を天に向けてあげることもできず、
自分の胸をたたいて
「神さま、罪人の私をお許しください」
と言うしかない人のようです(ルカ18:9~14)。

 

 そのような人に、
香油が頭に注がれるように、
「聖である霊】と呼ばれる方が来てくださるのだそうですから。
自分の低さを認める者に。(マタイ23:1~12)

 

 見えない目を見えるようにしてくださって。(マルコ8:22~26)


 私たちにも。
今日も。

 

 

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