風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

渇いている人は、わたしに来て飲みなさい、と

神よ、
あなたは私の神。
私はあなたを探し求め、
私の魂はあなたを渇き求めます。
詩63:2

 

エスの言葉:
渇いている人はだれでも、
わたしのところに来て飲みなさい。
ヨハネ7:37

 

 ルカ22:54~62
 マルコ9:14~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/28;金)

 

 心、霊の貧しい者、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊からは、
神の創造の目的からはズレた、
「的外れ」の思いしか出て来ないことを知っている者。

 

 パウロが言うように、
自分がしたい善は行うことができず、
自分がしたくない悪は行ってしまう者であることを知った者。

 

 そのような人は、神を渇き求めるのだそうです。
そして、イエスは、
その渇きで渇いている人は、私のところに来なさい、
と言っていてくださるのですね。
その渇きをいやしてあげるから、と。

 

 批判したり、責めたりするのではなく。
エスが捕らえられた時、大祭司の庭で、
三度もイエスを知らないと言ったペテロを
振り返って見つめられたやさしい目で(ルカ22:54~62)。

 

 口を聞けなくし、所かまわず倒して、
泡を吹き、歯ぎしりして、
からだをこわばらせる息子を持つ父親。

 

 イエスに、「あなたのお弟子たちに、
その霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、
できませんでした。
もし、おできになるなら、
私たちをあわれんでお助けください」と言うしかない父親。

 

 イエスは、その父親の不信仰を責められることなく、
そのけがれた霊を叱って、
「口を聞けなくし、耳を聞こえなくする霊、
わたしがおまえに命じる。
この子から出て行け。
二度とこの子に入るな」と命じられ、
その子をいやしてくださったのだそうですから。(マルコ9:14~29)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちにも同じように。
今日も。

 

 

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