風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

茨からいちじくは採れないし、野ばらから葡萄は集められないのですから

身分の低い者から高い者まで皆、
利をむさぼり、
預言者から祭司まで皆、あざむく。
彼らはわが民の破滅を手軽に治療して、
平和がないのに
「平和、平和」と言う。
エレミヤ書6:13~14

 

木はおのおのの結ぶ実によって分かる。
いばらからいちじくは採れないし、
野ばらからぶどうは集められない。
善い人は心の倉から良い物を出し、
悪い人は悪い物を出す。
ルカ6:44~45
 

 ルカ10:38~42
 Ⅱコリント9:1~9(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/24;木)

 

あなたの律法を愛する人には
豊かな平和があり、
つまずかせるものはありません。
詩119:165

 

キリストの言葉があなたがたの内に
豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして互いに教え、
さとし合いなさい。
コロサイ書3:16

 

 Ⅰコリント7:17~24
 Ⅱコリント9:10~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/25;金)         

 人間の本性はみな、
利をむさぼるもの、あざむき語るもののようです。
貧しい者から富む者まで。
神のみことばを取り次ぐ預言者から、
神に仕えるという祭司まで。

 

 「神と思いを一つにして生きる者を」との
神の創造の目的(創世記1:26)から、
自分一人の善悪の判断で生きる者になって、
「的外れ」になっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊。

 

 その私自身から出てくる思いで生きていれば、
神の律法のとおりに正しい者になろうとし、
良い人間になろうとしても、
それは、いばらから無花果いちじくを採ろうとし、
野ばらからぶどうを集めようとしているようなもの、
なのだそうです。

 

 それで、【父である神】は、
【神の霊】、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣して、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにしようと
思っておられるのだそうです。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きるように、と。

 

 それで、私たちの心にも、
神の律法(御思い)を愛する思いも来るのだそうです。
ベタニアのマリヤが、イエスの足もとに座り込んで
エスのことばに聞き入っていたように、(ルカ10:38~42)

キリストのことば、御思いが内に豊かに住むように、と。 

 

 また、貧しい人に分け与える思いも。
強いられてでもなく、いやいやでもなく、
喜んで、心に決めたとおりにして。

 

 種を蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、
私たちにも種を備え、増やし、義の実を増し加え、
あらゆる点で豊かになって、
すべてを惜しみなく与えるようになり、
神への感謝があふれ、
互いに慕い合うようになってほしいと
思っていてくださるのだそうですから。(Ⅱコリント9:7~15)

 

 この方、
エスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちにも来て。
今日も。

 

 

 

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