風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

喜び、楽しみたいのだそうですね。私たちのことを

すべてエルサレムを愛する者よ、

彼女と共に喜べ、

彼女のゆえに楽しめ。

すべて彼女のために悲しむ者よ、

彼女と共に喜び楽しめ。(口語訳)イザヤ書66:10

 

アンナは神を賛美し、
エルサレムの救いを待ち望んでいる人々
皆に幼子のことを話した。
ルカ2:38

 

 Ⅱコリント10:1~6
 エレミヤ書31:18~20、31~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句11/3;火・祝)

 

 

 喜び楽しみたいと思っておられるようですね。
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は。

 

 そのために
御子である方を赤ん坊のイエスとして人の世に生まれさせ、
私たちのためにこの方を身代わりにして処刑し、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済みの者とし、
私たちがこの方の御前に出たとき、
「的外れ」の責任を私たちに問わなくていいようにして。

 

 私たちが受けるはずの処罰を、
前もって、イエスを処刑することで
私たちの死刑が終わっているものとして。

 

 パウロが、コリントの人たちについて、
コリントに行ったときに権威を振るい、
悪い人を処罰しなくてはならないというようなことに
ならなくて済むようにと願ったように。(Ⅱコリント10:1~6)

 

 この方が言われているのですから。

 「エフライムが悲しみ嘆くのを確かに私は聞いた。
エフライムはわたしの大切な子、
喜びの子なのか。

わたしは彼を責めるたびに、
ますます彼のことを思い起こすようになる。

それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、
わたしは彼をあわれまずにはいられない」と。

 

 そして、「見よ、その時代が来る。
そのとき、わたしはあなたがたと新しい契約を結ぶ。
わたしは、わたしの律法(御思い)を彼らのただ中に置き、
彼らの心にこれを書き記す」とおっしゃって。

 

 十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に葬られたイエスは、
三日目に死人のうちから新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 

 【父である神】は、そのイエスととおして、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって私たちの心に
ご自身の御思いを置き、書きしるして、
私たちの心にご自身の思いがあるようにし、
受け入れる者が
ご自身と心を一つにして歩む生涯をおくることが
できるようにしていてくださるのだそうですから。

 

 私たちが、
エスによってなされた、
この新しい契約の中に生きるとき、
天では大きな喜びが起こるのだそうですね。

今日も。

 

 

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