風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自分の思いによってではなく、神の御思いで生きるように、と

私たちの主なる神よ、
あなた以外の支配者が
我らを支配しています。
しかし私たちは、
あなたの御名だけを唱えます。
イザヤ書26:13

 

人間に従うよりも、
神に従わなければなりません。
使徒5:29

 

 ルカ13:(1~5)6~9
 ロマ書2:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句11/18;水)

 


 私たちを治めるのは、人間ではなく、

天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)であるべきだというのですね。

 

 イエスが、自分の思うようにではなく、
【父である神】が思われるとおりに行動されたように。(ヨハネ6:38、8:28)

 

 また、【聖である霊】と呼ばれる方が、
エスの御思いのとおりに動かれたように。(ヨハネ14:26、16:14)

 

 けれども私たちは、
この方と心を一つにして生きる生き方から離れ、
神のひとりのようになろうとして、神に背き、神から離反し、
自分一人の理性の判断で
善悪を決めるようになっている者は、
この方ではなく、自分の理性が私の支配者となっています。

 

 この状態は、「ハマルティア(的外れ)」なこと、
あるべき姿、正しい在り方、「義」ではないのだそうです。

 

 それで神は、イエスによって、私たちに
立ち返る道、「義」の道を用意してくださったのだそうです。

 

 イエスの十字架刑での死に私たちを合体させ、
この「ハマルティア(的外れ)」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を処刑が終わったもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そして、死んで墓に葬られ、
三日目に新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
オリーブ山で弟子たちが見守るなか、上げられ、
天の父の右の座に帰られたイエスを通して、

私たちにも
【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださるのだそうです。

 

 【父である神】の御思いを心に置き、
書き記してくださるために。

 

 それで、私たちの内にも
【父である神】の御思いがあるようになり、

受け入れる者は、
自分の〔生まれたときからの霊〕から出て来た思いは
死んだものから出て来た思いであるとして、
エスの御前に投げ捨てながら、
この、心に来た、【父である神】の御思いで生きるように、と。

「私」という人間の支配から神の支配に移されて。

 

 神は、私たちにこのことを受け取ってほしいと、
一年、もう一年と待っていてくださるのだそうです。 

 

 いちじくの実がなるのを待っている
ぶどう園の番人のように。(ルカ13:6~9)

豊かないつくしみと忍耐と寛容をもって。(ロマ2:4)
 

 私たちも、神の御思いで生きるように、と。

 今日も。

 

 

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