風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

願い、嘆きのすべてを、この方の御前に差し出し、知っていただきながら

主よ、
私の願いはすべて御前にあり、
嘆きもあなたに隠れてはいません。
詩38:10

 

信仰が試されることで
忍耐が生じると、
あなたがたは知っています。
ヤコブ書1:3

 

 ヘブル書13:10~16
 イザヤ書56:1~8(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句11/27;金) 

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、私たちに、
願いごとの一つ一つ、嘆きや悲しみの一つ一つを
わたしに持って来なさい、
わたしに渡しなさいと言ってくださっているのですね。

自分だけに持ち込んでいるところが
一つもないようになるまでに。

願いや嘆き、悲しみの場所も私たちと一つになろうと。

 

 しかし、私たちは、この方に願っても、祈っても、
聞いてくださらない、なんにも変わらないと思って、
この方にもっていくのをやめようとします。

 

 けれども、すぐにかなえられないことで、
私たちの、この方への信頼関係が試され、
強くされていくのだそうですから。

 

 

 旧約の時代、イスラエルでは、
動物の血は、罪のきよめのささげ物として、
大祭司によって聖所の中に持って行かれ、
からだは宿営の外で焼かれました。

 

 それでイエスも、
ご自分の血によって民を聖なるものとするため、
門の外で十字架刑での処刑を受け、
苦しみを受けられました。

 

 私たちも、
エスはずかしめを身に負い、
宿営の外に出て、イエス御許みもとに行くのですね。

 

 私たちは、
いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、
やがて来る都を求める者にしていただいているのですから。

 

 それで、私たちは
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を
絶えず【父である神】にささげ、
善を行うこと、分かち合うことをしていくように
していただけるのだそうですから。(ヘブル13:10~16)

 

 神である主は言われます。
「わたしは祈りの家で彼らを楽しませる。
彼らのささげ物は受け入れられる。
わたしの家は、
あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ」と。(イザヤ56:7)

 

 私たちも、失望しないで、
願いや嘆きをこの方の御前に差し出し、
知っていただいて。
今日も。

 

 

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