風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「そうです」と言えば、そのとおりに「そうである」方が呼びかけてくださって

主の言葉を聞け。
主はこの国の住民を告発される。
この国には、誠実さも慈しみも、
神を知ることもないからだ。
ホセア書4:1

 

悔い改めよ。
天の国は近づいた。
マタイ3:2

 

 Ⅱコリント1:18~22
 ルカ1:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/18;金)

 


 この国に、誠実さも慈しみもなく、
神を知ろうともしないことを、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
悲しんでおられるのだそうです。

 

 ご自身に背を向け、
自分の思いのままにさまよい出ている私たちに、
自分のほうに向きなおってほしい、
心の通い合う、思いを一つにし合う関係、
天の御国に入ってほしいと願って。

 


 この方は、わたしたちのように、「そうです」と同時に
「違います」というようなお方ではなく、
話されたことばのとおりの
「そのとおり」の方なのだそうです。

 

 この方は、私たちが神の国(統治)に入っていることの証印、
保証として、
「聖である霊】と呼ばれる方を私たちに
遣わしていてくださるのだそうですから。(Ⅱコリント1:1~18)

 

 この方、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちに来てくださるためには、
私たちの「背き」、「ハマルティア(的外れ)」が
解決されなければならなかったのだそうです。

 

 「背き」、「的外れ」の責任が果たされないままの私たちに
この聖なる方が来られるなら、
私たちはたちどころに滅びてしまうほかないのだそうですから。

 

 それで、【父であある神】は、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣される前に、
救い主である方を派遣して、
私たちの「背き」、「的外れ」の責任が果たされているように
しなければならなかったのだそうです。

 

 そして、【父である神】は、
その救い主が人間の世に来られる前に、
「荒野に呼ばわる者の声」として、
道ぞなえをする者が現れると
預言しておられたのだそうです。(イザヤ40:3)

 

 【父である神】は、その言葉のとおりに、
ユダの王ヘロデの時代(今から2000年余り前)に、
祭司ザカリヤとエリサベツという、
子どもを産めない老齢の夫婦を通して、
「荒野に呼ばわる者の声」として、
バプテスマのヨハネを生まれさせようとされ、
夫のザカリヤにそのことを告げられたのだそうです。

 

 これらのことは、よく考えられた作り話ではなく、
この人間の歴史の中で起こった事実の目撃者の証言として
ルカはこれを記録しているというのですね。(ルカ1:1~18)


 私たちも、
この、ことばのとおりに在る方の呼びかけに応えて。

この方と思いを一つにしていく関係へ。

今日も。

 

 

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