風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

父を尊敬する思いなど、ひとかけらもない私たちを」

「子は父を敬うものだ。
わたしが父であるなら、
わたしに対する尊敬はどこにあるのかと
主は言われる。
マラキ書1:6

 

ある人に息子が二人いたが、
彼は兄のところに行き、
「子よ、今日、
ぶどう園へ行って働きなさい」と言った。
兄は「いやです」と答えたが、
後で考え直して出かけた。

(口語訳、新改訳三版まででは、
「兄は『行きます』と答えて行かなかった。
弟は『いやです』と答えたが、後で考え直して行った」、
となっている。)マタイ21:28~29

 

 ロマ書8:26~30
 ルカ5:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/13;水)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
この方を「父」と呼んでいる私たちに、
父としての尊敬がないことをご存じなのですね。

 

 口先で、表面的には
「あなたのおっしゃるとおりに行います」と答えていながら、
実際にはやろうとしない、ということを。

 

 

 神の一人のようになろうとして、
「善悪を知る」者となって、「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
神の言われることは愚かに思え、
言われたとおりにするよりも、
自分の「善悪の判断」のほうで行動していきます。

 

 けれども、私たちの身代わりとなって
十字架刑での死刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスが【父である神】の右の座にあって
私たちに派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方。

 

 この方が、【父である神】の御思いを受けて、
【父である神】が思っておられるとおりに、
私たちをとりなしてくださり、
「いやだ」と思う私に、
「やってみようか」という思いを起こしてくださるのだそうです。

 

 【父である神】への尊敬の思いも起こしてくださり、
【父である神】の思っておられる思いを大切にする心も。

 

 イエスが【父である神】に対して思っておられるのと
同じ思いになるように、と。(ロマ8:26~30)

 

 

 ペテロも、イエスから、
「深みに漕ぎ出し、
網を下ろして魚を取りなさい」と言われたとき、

「先生、私たちは夜通し働きましたが、
何一つ取れませんでした」と答えたのだそうです。

 

 プロの漁師である私たちが、魚を取るのに一番適した夜に、
一晩中、網を打っても、何一つ取れず、
今、漁から帰って来て網を洗っているところなんですよ。
漁をすることについては、ど素人であるあなたが、「網を打て」、
なんて言ったって、捕れるわけがないではありませんか」と。

 

 でも、ペテロは、そこで終わらなかったのですね。

「でも、おことばですので、
網を下ろしてみましょう」と思い直して。

 

 そして、自分の思いでは、
「そんな無駄なことをするのはいやだ」と思いながらも、
ともかく、「おことばですので」と、言われたとおりにしてみると、
なんと、網いっぱい、
船が沈みそうになるほどの魚が網に入り、
ペテロは、イエスの前にひれ伏し、
「主よ、私から離れてください。
(そうでないと私は死んでしまいます。)
私は罪深い人間ですから」と言ったのだそうです。

 

 けれども、イエスは、そのペテロに、
「恐れることはない。
今から後、あなたは人間を捕るようになるのです」と
言われたのだそうです。

 

 私たちも、神を尊敬する思いはなく、
神のことばに従おうとしない者ですが、

「でも、おことばですので」と思い直して
一歩踏み出してみると、
神の御業を見、
【父である神】を尊敬する者にもしていただけるのだそうです。
今日も。

 

 

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