風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自由に、大きく踏み出して

私の足は大きく踏み出し、
くるぶしはよろめくことがない。
サムエル下22:37

 

主の霊のおられるところに
自由があります。
Ⅱコリント3:17

 ガラテヤ書5:1~6

 ルカ6:6~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/20;水)

 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私の足の歩みを広げ、
くるぶしがよろめくことがないようにしてくださるのですね。

私の足を雌鹿のように強めて。

 

 

 主の霊と呼ばれる方、
エスの十字架刑での死、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の朝の新しい霊のからだへの復活、
そして、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座への復帰によって
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。

 

 この方がいてくださるところには、自由があるのだそうです。
私たち、この方によって、
自分の内から出てくる思い、
心を行き来する思いの一つ一つを
【父である神】、【御子である神】イエスの御前に差し出し、
見ていただき、知っていただいて、
隠している、おおっている思いが一つもない、
不自由に思うところのない、
全部、光の中の出来事、明るみの出来事に
していただけるのですから。

 

 そして、自分の思いに捕らわれることなく、
この【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中に
一歩踏み出していけるようにしてくださって。

 

 このように、イエスは、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちが自分の思いに捕らわれることなく、
自由に、この方についていけるように
していてくださるのですから。

 

 だから、もう、私たちは、
自分の
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いに従って
生きなくていいのですね。

エスの御前に投げ捨てて行けばいい。

 

 律法的生き方、
自分の力で神のみことばのとおりを行う者になって、
神の前に自分の義を立てようとする生き方は、
もう、しなくていいのだそうです。

 

 イエスが私たちに派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの内に【父である神】の御思いを置いてくださり、
私たちの内に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が
【父である神】の御思いと同じ思いになって生きる、
「愛による一つ」の関係に入れてくださるのだそうですから。(ガラテヤ5:1~6)

 

 イエスが、【父である神】との一つ思いの中で、
右手のえた人に「手を伸ばしなさい」と言われると、
えていた手が
元どおりに動かせるようになったように(ルカ6:6~11)、
私たちも、
神がしようと思われることの中に
自由に、大きく踏み出して行く者にして(ヨハネ14:12)。

今日も。

 

 

 

 

 

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