風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

死も命も、天使も、どんなものも、引き離せないのですから

あなたは私の逃げ場、救い主。
私を暴虐から救ってくださる。サムエル記下22:3

 

私は確信しています。
死も命も、
天使も諸力も暴力も、
現在も未来も、
高きも深みも、
他のどんな被造物も、
私たちの主
キリスト・イエスによって示された
神の愛から、
私たちを引き離すことは
できないのです。ロマ書8:38~39

 

 ヤコブ書4:1~10
 ルカ11:1~4(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句2/25;木)

 


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間の逃げ込む場所、
暴虐から救ってくださる方。

 

 それで、この方の愛から私たちを引き離すものは
何もないのだそうです。
私たちが自分でこの方の愛の外へ出て行くのでない限り。

 


 私たち人間は、天の神、【主】の、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」との願いによって造られた者。

 

 【父である神】、
【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神は、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
自分の思うままをなさるのではなく、
愛と尊敬において、
自由意思で自発的に、
相手の思いを尊重し、
相手の思いが成ることを願っておられる方。

 

 【御子である神】は、
【父である神】の御思いが成ること願っておられるのですね。
エスが、「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。」(ヨハネ6:38)と言われているように。

 

 また、【聖である霊】と呼ばれる神も、
自分の思いが成ることではなく、
【父である神】と一つになっておられる御子である神、
エスの思いが成ることを願っておられるのだそうです。

「御霊は、自分から語るのではなく、
聞いたことをすべて語り、わたしの栄光を現されます。
わたしのものを受けて、
あなたがたに伝えてくださるのです」(ヨハネ16:13~14)と
エスが言っておられるように。


 その、【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
愛において、自由意思で自発的に思いを一つにしておられる、
そのかたち、そのすがた(関係)に加わる者をと願われて。

 

 

けれども、最初の人アダムとエバは、
サタンと呼ばれる悪魔に誘われて、
その「神と思いを一つにする」場に留まることよりも
もっと素晴らしいものになろう。

神のひとりのようになり、全知、全能、永遠不変のものとなり、
神の御座の上に自分の座を設け、
自分の理性による善し悪しの判断のまま、
自分の思いとおりを実行する者になろうとする道を
選んだのだそうです。

 

「神の一人のようになり、善悪を知る者」になって。
神に対立、対抗する、
創造の目的から「的の外れた」ものに。(創世記3:1~22)

 

 そして、この性質は、
アダムの子孫である私たちすべての人間に
遺伝しているのですね。
生まれ落ちたそのときから。

 

 

 それで私たち、善しと思うところがそれぞれ違い、
対立して、自分の思いを押し通そうとして争い、戦うのですね。
欲しても自分のものにならないと、人殺しをし、
熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりして。

 

 

 けれども神は、そのような、
ご自分に背き、敵対する私たち人間の逃げ込む場所、
救いとなってくださっているのだそうです。

 

 【御子である神】が、【父である神】の御思いを受けて、
人間イエスとして私たち人間の歴史の中に来てくださり、
私たちすべての人間の身代わりとなり、
すべての人間の「的外れ」の責任をご自分の身に負って、
神に背いた者、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 

 【父である神】は、
このイエスの十字架刑での処刑に私たちを合体させて、
「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を死刑が終わったもの、
死んだ者としてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、死んで墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって私たちの心を一新し、

私たちの心にご自身の御思いを置き、書き記して、
私たちの内にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きることが
できるようにするために。

 

 私たちが、サタンと呼ばれる悪魔の誘いの声を退け、
神と思いを一つにして生きる者になるために。

 

 それで、私たちは、この方の執り成しによって
大胆に神の御前に出るのですね。
二心を単一な心に、
「的外れ」な思いをそのままにイエスの御前に差し出し、
見ていただき受け取っていただきながら(ヤコブ4:1~10)、

【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いが成るようにと。

 

 御心が天においてなっているように、
この私にもなりますようにと願いながら。(ルカ11:1~4)

 今日の分を今日。

 

 

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