風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

多くの苦しみの中で

一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
ヨハネ12:24(3/14の週の聖句)

 

見よ、その日が来ればと、
主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく、
水に渇くことでもなく、
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。

人々は海から海へと巡り、
北から東へとよろめき歩いて、
主の言葉を探し求めるが、
見出すことはできない。
アモス書8:11~12

 

エスは言われた:
幸いなのは神のことばを聞き、
それを守る人である。
ルカ11:28

 

 Ⅱコリント1:3~7
 詩84(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/14;Ⅱ日曜)

 

 

 今は、神の恵みが豊かに注がれている時なのですね。
神のことば、聖書もいつでも手に入るし、
聖書の話しを聞こうと教会に行くことも、
行こうと思えばいつでも行ける日本ですから。

 

 けれども、その、神の恵みの扉が
閉じられる時が来るのだそうです。

 

そのときには、神のことばを聞きたいと願っても、
語ってくれる人が誰もいなくなるような時が。

 

 だから、今、神のことばを聞いて、
それを心に留める人は幸いだ、と言われるのですね。

 

 

 今の時代も多くの苦しみがあります。
けれども、憐れみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神は、
どのような苦しみの時にも
私たちを慰めてくださるのだそうです。

 

 その満ちあふれる慰めによって、
私たちもあらゆる苦しみの中にある人たちを
慰めることができるように、と。

苦しみをともにし、
慰めもともにするように、と。(Ⅱコリント1:3~7)

 

 神の創造の目的から「的外れ」になり、
自分本位な生き方をするばかりの私たちが、
そのように、神と思いを一つにして生きることができるようにと、
エスは、一粒の麦となって
十字架刑での処刑受けて死んでくださったのだそうです。

 

 私たちが、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る、
【父である神】の御思いで生きる者のなるようにと。

 

 この方とともに生きる一日は
千日にもまさるものなのですから。(詩84)
この方を恋い慕いながら。
この新しい一週間も。

 

 

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