風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

わずかだけしか劣らないものとして造って下さったのだそうです。あの方。


 主は、神にわずかに劣るものとして人を造り、
なお、栄光と威光を冠としていただかせられました。詩編8:6 

  御父は、御心のままに、
 真理の言葉によって私たちを生んでくださいました。
それは、私たちを、
いわば造られたものの初穂となさるためです。ヤコブ書1:18

          (ローズンゲン日々の聖句6/27;土)

 あなたの指のわざである天を見、
あなたが整えられた月や星を見ますのに、
 人とは何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。
あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、
これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。
あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、
 万物を彼の足の下に置かれました(詩篇8:3~6)。

 御父は、「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて。」(創世記1:26)
との御心のままに、
 「私たちが一つであるように、彼らも(私たちと)一つである」(ヨハネ17:21~22)ものとして、
 私たち人間を造って下さったのだそうです。

そして、
 「彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配(治め)するように」(創世記1:26)と。

 私たち人間が、御父と呼ばれる方と思いを一つにして、
 御父が思われるとおりに治めて行ったら、今とはずいぶん変わった世界になっていたことでしょうね。
  それは、ちょうど、御父と思いを一つにし、「わたしと父とは一つです。私を見た者は父を見たのです」(ヨハネ10:30、14:9)と言い得た、イエスが治められたのと同じ状況になっていたことでしょうね。

 あるいは、ヨセフが、天の神、主の知恵によってエジプトの国を治めて行き、

7年間の飢餓からエジプトを、近隣諸国を救って行ったように(創世記41章)。

 

 そして、私たち人間が初穂として天の栄光に包まれ、
 私たち人間に続いて、造られたもののすべてが、

神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられるのだそうですね(ロマ8:21)。

 


 私たち、天の神、主よりもわずかだけしか劣らない者として造っていただき、

栄光と威光をいただく初穂としていただけるのだそうです。
 今日も。

 

 

 

 

 


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