風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

旅の間、私と共にいて、苦難のときに私に答えて下さる方に

ヤコブの言葉:さあ、これからベテルに登ろう。
私はその地に、
苦難のときに私に答え、
旅の間私と共にいてくださった神のために
祭壇を造る。
創世記35:3

 

 いつも、
あらゆることについて、
私たちの主イエス・キリストの名により、
父である神に感謝しなさい。
エフェソ書5:20

 

 使徒9:36~42
 マタイ21:23~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/9;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が、
ヤコブに言われたのですね。

「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。
そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れて行ったとき、
あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」

 

 それで、そのお言葉のとおりにヤコブは行動したのですね。
私たちも、いつも、あらゆること、すべてのことについて、
私たちの主イエス・キリストの名によって、
父である神に感謝をささげる者へと。

 

 ヨッパの人々、
病気で死んだタビタ(ギリシャ語:ドルカス)を
ペテロを通して生き返らせてもらって(使徒9:36~42)、
どんなにか、慰めを得、神に感謝をささげたことでしょう。

 

 けれども、宮を管理し、民を指導する立場にあった祭司長、民の長老たちは、
エスが盲人や足のなえた人をいやされるのを見ても、
「何の権威によってこれらのことをするのか。
だれが、あなたにその権威を授けたのか」と問いただすばかりで、
感謝しようとはしなかったのだそうです。

 

 私たちも、
天の神、【主】を無視して、自分の考えを押し通していく
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
エスの十字架刑に合わせていただいて処刑されたもの、
死んだものから出てきている思いであると認めて
エスの御前に差し出しながら、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いについて行くのですね。
感謝をささげながら御思いの中へと。
今日も。

 

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