風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

海を分け、エジプトの国、奴隷の家から導き出された方が

今や、恵みの時、

今こそ、救いの日。Ⅱコリント6:2(11/11の週の聖句)

 

 わたしは主、あなたの神、

あなたをエジプトの国、

奴隷の家から導き出した神である。出エジプト20:2

 

 牢を出たパウロとシラスは、

リディアの家に行って兄弟たちに会い、

彼らを励ましてから出発した。使徒16:40

 

 ルカ17:20~24(25~30)

 詩52(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/11;Ⅱ日曜)

 

 今日、

自ら進んで手を捧げもので満たし、

主に差し出す者はいないか。歴代誌上29:5

 

 惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、

刈り入れもわずかで、

惜しまず種を蒔く人は、

刈り入れも豊かなのです。Ⅱコリント9:6

 

 Ⅰペテロ4:7~11

 黙示録21:1~8(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/12;月)

 

 今が、恵みの時、今こそが救いの日、なのだそうですね。

天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

天のはるか上におられて、

地上の私たちとは関係をもたない神ではなく、

 

 私たちの、

この人間の歴史の中に介入しておられる方なのだそうです。

 

 エジプトの奴隷の労役に苦しみ叫ぶイスラエルの民の叫びを聞いて、

解放の指導者としてモーセを遣わし、

数々の奇蹟をもってエジプト王パロを屈服させ、

葦の海(あるいは紅海)の水を分けて、

民を乾いた地を行くように海の底を歩いて向こう岸へ渡らせ、

約束の地、カナンに民を導き入れられた方なのだそうですから。

 

 そして、この、私たち、人間の歴史の中に

御子である方が来られて、

私たちの身代わりとなって、

ユダヤ人の指導者たちの妬みと、

ローマ兵の手によって十字架刑での処刑を受けて、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださるのだそうですから。

 

 さらに、三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスを通して、

もう一人の方、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が、受け入れる者に来てくださって、

〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを

私たちの心に置き、書きしるして、

受け入れる者が〔父である神〕と一つ思いになるように、

してくださるのだそうですから。

 

 

 最初に〔神の御子〕が、

人間イエスとしてこの歴史の中に来られたときは、

アジア大陸とヨーロッパ大陸、そしてアフリカ大陸がつながる、

扇のかなめのような所に来られたのですが、

 

 今度、来られる時は(空中再臨)、

いなずまがひらめいて、天のはしから、天のはしへと輝くように、

全世界に、地球上のすべての地域に

一瞬にして起こるようです(ルカ17:24、Ⅰテサロニケ4:16~17)。

受け入れた者が、世界中から、一挙に天に引き上げられ、

いつまでもイエスと共にいることになるのだそうですから。

 

 そして、地上に残された人々によって歴史は進み、

世界統一国家のようなものもできるようですが、

最終的にイスラエルが攻撃され、まさに滅亡しようとするとき、

エスは、オリーブ山に立たれ(ゼカリヤ14:1~5)、

今度は王として、

千年の間、地上を治められるのだそうです(黙示録19:19~20:6)。

 

 さらにそのあとのことですが、

今の天は、大きな響きをたてて燃えてくずれ、天の万象は焼け溶け、

今の地と地のいろいろなわざは焼き尽くされるのだそうです(Ⅱペテロ3:10~12)。

 

 そして、天の神、主は、新しい天と新しい地を始めてくださるというのですね。

「見よ。神の幕屋が人とともにある。

神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。

また、神ご自身が彼らと共におられて、

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。

もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」(黙示録21:1~4)

という新しい世界が。

 

 それで、私たちは、その希望に向かって日々を歩み、

集まりをもち、天の神の介入を確認し合い、励まし合うのですね。

 

 ひとりひとりが、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、

自ら進んで、心に決めたとおりの捧げものをし、

それぞれが神からいただいているものをもって仕え合うように

してくださるのだそうです。

 

 語る人があれば、神の言葉にふさわしく語り、

奉仕する人があれば、

神が豊かに備えてくださる力によって、

それにふさわしく奉仕するのだそうです。

 

神の恵みの良き管理者として。

〔父である神〕と心を一つにして。

この新しい週も。

 

 

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すべての人々に救いを用意されている方に

恵み深い主に感謝せよ。

慈しみはとこしえに。詩106:1

 

 すべての人々に救いをもたらす

神の恵みが現れました。テトス書2:11

 

 Ⅱペテロ3:13~18

 黙示録20:11~15(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/10;土)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

恵み深い方。

慈しみをもって、

私たち、すべての人間を救おうとしていてくださる方なのだそうですね。

 

 〔父である神〕、

〔御子である神〕、

〔聖である霊〕と呼ばれる神が、

それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、

愛のゆえに、自由意思で、自発的に、

思いを同じくし、心を一つにし、行動を一つにし、存在を一つにしておられる。

 

 そして、その、ご自身の一つの中に、

愛のゆえに、

自由意思で、自発的に加わる者をと願われて

私たち人間を創造されたのだそうです。

「さあ、人を造ろう。

われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、と。

 

 それで、

「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになり(創世記3:5、22)、

「的外れ」になって、

ご自身に背き、対立、対抗している私たちを、

なお、惜しみ、大切に思って、

創造の目的のとおりに回復しようと計画してくださったのだそうです。

 

 〔御子である神〕が、

天の栄光の座を後にして、

「女の子孫」(創世記3:15)、人間イエスとして人の世に来られ、

すべての人間の、すべての「的外れ」の責任を御自身に負って、

神に反逆した者、神に呪われたものとなって、

十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 

 私たちすべての人間の

〔生まれたときからの私〕という霊を、

処罰済み、処刑が終わっていることにしてくださるために。

 

 そのうえで、〔父である神〕は、

墓に葬られたイエスを、

三日目、日曜日の早朝、

死人の中から新しい霊のからだに復活させ、

40日に渡って、何度も弟子たちに現れさせ、

神の国のことを語らせた後、

 

 オリーブ山で弟子たちが見守る中、

天に上げ、ご自身の右の座にかえらせなさったのだそうです。

 

 そして、10日後の「五旬節(ペンテコステ)の日に、

このイエスを通して、

約束されていた〔聖である霊〕と呼ばれる方を弟子たちのところに派遣され、

この方によって弟子たちの心に、

ご自身の御思いを置き(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)、

弟子たちが〔父である神〕と思いを同じくし、心を一つにして、

〔父である神〕がしようと思われることをしていくように

してくださったのだそうです(使徒2章)。

それから、2000年、恵みの出来事として、今の私たちにも。

 

 それで、この救いをいただいた者たちは、

「慈しみはとこしえに」と感謝と賛美をささげながら生きるのですね。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方により、

〔父である神〕、〔御子である神〕イエスと心を一つにしながら。

 

 やがて、燃えて崩れるこの天と地にあって、

新しい天、新しい地を待ち望みながら(Ⅱペテロ3:12、13)。

 

 この方の御前に出て(黙示録20:11~15)、

「よくやった。良い忠実なしもべだ。

あなたは、わずかな物に忠実だったから、

わたしはあなたにたくさんの物を任せよう。

主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:21)と言っていただける

その日を望みながら。

今日も。

 

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神の御業の現れる者にしていただいて

われわれの神が

先祖と共におられたように、

われわれと共におられるように。列王記上8:57口語訳

 

 信仰と忍耐とによって、

約束されたものを受け継ぐ人たちを

見習う者となってほしいのです。ヘブル書6:12

 

 Ⅰコリント3:16~23

 黙示録20:7~10(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/9;金)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

イスラエルの先祖の人たちと共におられたように、

今は、

エスによる救いを受け取った者と共にいてくださるのだそうです。

 

 イエスが十字架刑での処刑を受けて流してくださった血によって

私たちをきよめ、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が住まわれる宮としてくださり、

私たちをご自身のからだとして用い、

私たちを通しても、

御業を現わしてくださるのだそうですから。

約束のものを受け継ぐまでに。

今日も。

 

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天の神、主の言葉、御心を求めて

私の神よ。

御旨を行うことを私は望み、

あなたの教えを胸に刻みます。詩40:9

 

 神を愛するとは、

神の掟を守ることです。

神の掟は難しいものではありません。Ⅰヨハネ5:3

 

 黙示録13:1~10

 黙示録11:15~19(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/7;水)

 

 

 まず主の言葉を求めなさい。歴代誌下18:4

 

 あなたは、

自分が学んで確信したことから

離れてはなりません。Ⅱテモテ3:14

 

 マタイ21:12~17(23~27)

 黙示録20:1~6(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句11/8;木)

 

 本当の愛は、

愛する相手の思いを大切にするようです。

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方を愛する者は、

この方の御思いが実現することを願い、望み、

喜びとするようです。

 

 それで、自分の理性による善し悪しの判断は横に置いて、

神の御思い、神の言葉を求めるのだそうです。

 

 そして、その言葉、御思いにとどまり続けるのですね。

離れることなく。

 

 イエスが、聖書に記されている言葉、

〔父である神」の御思いによって行動されたように。

宮清めを。

「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」と書いてある。

それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」と

宮の中で売り買いしている者たちをみな追い出し、

両替人の台や

鳩を売る者たちの腰掛を倒されたように。

 

また、盲人や足のなえた人のいやされたように(マタイ:21:12~17)。

 

 

 そして、聖書にはこんな約束も記されているのですね。

「また私(ヨハネ)は、

御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、

天から下って来るのを見た。

 

 彼は、悪魔でありサタンである竜、

あの古い蛇を捕らえ、

これを千年の間縛って、

底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、

その上に封印して、千年の終わるまでは、

それが諸国民を惑わすことのないようにした。

 

 また私は、イエスのあかしと神のことばのゆえに

首をはねられた人たちのたましいと、

獣やその像を拝まず、

その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。

彼らは生き返って、

キリストとともに、千年の間王となった(黙示録20:1~6新改訳)。

 

 

 イエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

ご自身の〔父である神〕に対する愛を

受け入れる者の心に置いてくださり、

その愛と尊敬において、

〔父である神〕の御思いが成ることを願い、望み、

喜びとする者にしてくださるのだそうですから。

私たちも。

今日も。

 

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自由人として生きるには

主よ、

私は自ら進んでいけにえをささげ、

恵み深いあなたの御名に感謝します。詩54:8

 

 私たちの主イエス・キリストの父である神、

慈愛に満ちた父、

慰めを豊かにしてくださる御が

ほめたたえられますように。Ⅱコリント1:3

 

 Ⅰペテロ2:11~17

 黙示録11:1~2(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/5;月)

 

 天地万物を創造された方、

イエス・キリストの父である神は、

さまよい出ている私たちをも、なお、愛し、

追い求めてくださって、

エスによって

私たちをご自分の子にしてくださる方なのだそうです。

 

 それで、私たちも、

イエス・キリストによって、

この方を父と呼んでいいのだそうです。

 

 この方は、

慈愛に満ちた方、

慰めを豊かにくださる方、

どのような苦しみのときにも、私たちをなぐさめてくださり、

私たちが、

この方から受けた慰めによって、

どのような苦しみの中にいる人をも

慰めることができるようにしてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちも、

自分から進んでささげものをし、

この方に感謝をあらわすのですね。

 

 そして、神の子として、

天の御国をやがて帰る故郷とし、

この世にあっては、旅人、寄留者として生きるのですね。

 

 たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけ、

人々の中にあってりっぱにふるまうのですね。

 

 そうすれば、

なにかのことで私たちを悪人呼ばわりしている人も、

私たちのその立派な行いを見て、

おとずれの日に神をほめたたえるようになるのだそうですから。

 

 それで、人の立てたすべての制度に

主イエスのゆえに従うのですね。

それが主権者である王であっても、

また、悪を行なう者を罰し、善を行う者をほめるように

王から遣わされた総督であっても。

 

 善を行って、愚かな人々の無知の口を封じることは、

神の御心なのだそうですから。

 

 自由人として、

その自由を、悪の口実に用いないで、

神の奴隷として用いるようになるのだそうです。

 

 すべての人を敬い、

兄弟たちを愛し、

神を恐れ、王を尊ぶのだそうです(Ⅰペテロ2:11~17)。

 

 イエス・キリストを通して来てくださる

〔聖である霊〕と呼ばれる方が

受け入れる者の心に置いてくださる〔父である神〕の御思いは、

そのような方向なのだそうですから。

 

 自由人として、

自分から進んで、

自分を神にささげ、

御思いの中を。

神に感謝と賛美をささげながら。

今日も。

 

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愛に根ざし、神から来るその愛にしっかりと立って

王の王、主の主、

唯一の不死の存在である神に

誉れと永遠の支配がありますように。Ⅰテモテ6:15、16(11/4の週の聖句)

 

 あなたは

心を尽くし、

魂を尽くし、

力を尽くして、

あなたの神、主を愛しなさい。申命記6:5

 

 パウロの手紙:

御父が

信仰によって

あなたがたの心の内に

キリストを住まわせ、

あなたがたを

愛に根ざし、

愛にしっかりと立つ者と

してくださいますように。エフェソ書3:17

 

 マタイ22:15~22

 詩39(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/4;Ⅰ日曜)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

祝福に満ちた唯一の主権者、

王の王、主の主、

ただひとり死のない方であり、

近づくことのできない光の中に住まわれ、

人間がだれひとり見たことのない、

また見ることのできない方。

誉れと、とこしえの主権はこの方のもの、なのですね。

 

 

 私たちの身代わりとなり、

神に呪われたものとなって、

十字架刑での処刑を受け、

死んでほうむられ、

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

40日に渡って弟子たちに何度も現れ、

神の国のことを語ったのち、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、

上げられ、

天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスが受け入れる者に派遣してくださる

〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

私たちの心にも、

心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、

神を愛する思いも置いてくださるのだそうです。

 

 受け入れる者が愛に根ざし、

〔聖である霊〕と呼ばれる方により、

エスを通して来る〔

父である神〕の御思いがしっかりと心にあり、

神の愛に根ざし、

神の愛にしっかりと立ち、

神ご自身の満ち満ちたさまにまで、満たされるようにと。

 

 イエスが、イエスをことばの罠にかけ捕らえようとする者たちさえもが、驚嘆し、立ち去るような神の知恵にも(マタイ22:15~22)。

 

 それで、私たちもうたうのですね。

ダビデのように。

 

 主よ。お知らせください。

私の終わり、私の齢(よわい)が、どれだけなのか。

私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。

 

 ご覧ください。

あなたは私の日を手幅ほどにされました。

私の一生は、あなたの前では、ないも同然です。

まことに、人はみな、

盛んなときでも、全くむなしいものです。

まことに、人は幻のように歩き回り、

まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。

人は積みたくわえるが、

だれがそれを集めるのかを知りません。

 

 主よ。今、私は何を待ち望みましょう。

私の望み、それはあなたです。

私のすべてのそむきの罪から

私を助け出してください。

私を愚か者のそしりとしないでください。

私は黙し、口を開きません。

あなたが、そうなさったからです。

どうか、あなたのむちを私から取り除いてください。

あなたの手に打たれて、私は衰え果てました。

あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、

その人の望むものを、

しみが食うように、なくしてしまわれます。

まことに、人はみな、むなしいものです。

 

 私の祈りを聞いてください。主よ。

私の叫びを耳に入れてください。

私の涙に、黙っていないでください。

私はあなたとともにいる旅人で、

私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。

私を見つめないでください。

私が去って、いなくなる前に、

私がほがらかになれるように(詩篇39:4~13新改訳)、と。

 

この新しい週も。

 

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慰め、力づけたいと

死の陰の谷を行くときも、

私は災いを恐れない。

あなたが私と共にいてくださる。

あなたの鞭、あなたの杖、

それが私を力づける。詩23:4

 

 キリストの苦しみが満ちあふれて

私たちに及んでいるのと同じように、

私たちの受ける慰めも

キリストによって満ちあふれているのです。Ⅱコリント 1:5

 

 イザヤ書 1:18~20(21~25)26~27

 黙示録 10:1~11(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句 11/3;土・祝)

 

 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

また、慈愛の父、

すべての慰めの神とも呼ばれる方なのだそうです。

 

 神はどのような苦しみのときにも、

死の陰の谷を歩むようなときにも、

私たちと共にいて、

私たちを慰めてくださる方なのだそうです。

 

 それで、私たちも、

自分自身が神から受ける慰めによって、

どのような苦しみの中にいる人をも、

慰めることができるようにしてくださるのだそうです。

死の陰の谷にいるような人をも。

私たちと共にいて。

 

 天の神、主は、イザヤを通して言われます。

「さあ、来たれ。論じ合おう。

たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、

雪のように白くなる。

たとい、紅のように赤くても、

羊の毛のようになる。

もし喜んで聞こうとするなら、

あなたがたは、この国の良いものを食べることができる。

しかし、もし拒み、そむくなら、

あなたがたは剣にのまれる。

 

 万軍の主、イスラエルの全能者であるわたしは、

おまえの上に再びわが手を伸ばし、

おまえのかなかすを灰汁のように溶かし、

その浮きかすをみな除こう。

 

 こうして、おまえのさばきつかさたちを初めのように、

おまえの議官たちを昔のようにしよう。

 

 そうして後、おまえは正義の町、

忠心な都と呼ばれよう。

シオンは公正によって贖われ、

その町の悔い改める者は正義によって贖われる」

(イザヤ1:18~20、25~27新改訳)と。

 

 

 天の神、主は、

今は、私たちがひとりでも滅びることを望まず、

すべての人がご自身に立ち返って、

エスによる救いを受け取るよう、

忍耐をもって時を延ばしておられるのだそうです(Ⅱペテロ3:9)。

しかし、「もはや時が延ばされることはない」

と言われるときが来るのだそうです。

 

 私たち、一人一人においても。

また、この人間の歴史においても。

 

 それで、私たちにも慰めを満たし、

〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

伝えてほしい御思いを私たちの心に置き(黙示録10:6~11)、

私たちの周りの人を慰め、

力づけようとしておられるようです。

死の陰の谷を歩んでいるような人にも。

今日も。

 

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