風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

顔と顔を合わせて見る、その時を

イスラエルの希望、
苦難の時の救い主よ。
なぜあなたは、
この地に身を寄せる人、
宿を求める旅人のようになっておられるのか。
エレミヤ書148

 私たちは、今は、
鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、
顔と顔を合わせて見ることになる。
Ⅰコリント1312

 ロマ書
15713
 ロマ書32131(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句
1/29;火)


 エレミヤは言います。

「私たちの咎(とが)が、私たちに不利な証言をしても、
主よ、あなたの御名のために事をなしてください。
私たちの背信ははなはだしく、
私たちはあなたに罪を犯しました。
イスラエルの望みである方、
苦難の時の救い主よ。
なぜあなたは、
この国にいる在留異国人のように、
また、一夜を過ごすために立ち寄った旅人のように、
すげなくされるのですか。
なぜ、あなたはあわてふためく人のように、
また、人を救うこともできない勇士のようにされるのですか。
主よ。あなたは私たちの真ん中におられ、
私たちはあなたの御名をもって、
呼ばれているのです。
私たちを、置き去りにしないでください」(エレミヤ14:7~9新改訳)、と。

 

 私たちの知っているところは一部分であり、
今は、銅板をみがいて作った鏡に、
おぼろに、ぼんやり映ったものを見ているようですが、
その時には、顔と顔を合わせて見ることになり、
私たちが完全に知られているのと同じように、
完全に知ることになるのだそうです。

 

 私たちの望みの神は、
私たちを、
信頼関係によるすべての喜びと平和をもって満たし、
〔聖である霊〕と呼ばれる方の御力によって
望みにあふれさせてくださいますから(ロマ14:13)。

 

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
律法とは別に、
しかも律法と預言者によってあかしして、
ご自身の義を示されました。

 

 それは、イエス・キリストを信じる
信頼関係による神の義であって、
ご自身を信頼するすべての人に与えられ、
そこに、なんの差別もないのだそうです。

 

 すべての人は、
罪を犯したので、
神からの栄誉を受けることができません。
ただ、神の恵みにより、
キリスト・イエスが受けてくださった
十字架刑での処刑による贖(あがな)いのゆえに、
価なしに、働きなしに
義と認めてくださるのだそうです。

 

 〔父である神〕は、
キリスト・イエスを、
その血による、なだめの供え物として、
公にお示しになりました。

 

 それによって、神はご自身の義を現わされました。
神は、今までに犯されて来た罪を、
忍耐をもって見のがして来られましたが、
今は、ご自身の義を現わし、
神ご自身が義でありながら、
エスに信頼する者を義と認める道を用意してくださったのだそうです。

 

 律法の行いでは合格できない者のために、
神が恵みのプレゼントとして用意してくださった
エスによる義を、神に信頼して受け取ることによって
義とする道を(ロマ3:21~31)。

 

 私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
その方が、受け入れる者の心に、
〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が
〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心になって、
神がしようと思われることをしていくように
してくださるのだそうですから。

 

 天の神、主と一つになって生きる、
義なる、本来あるべき生き方、
律法を確立する生き方をし、
その時には、
顔と顔を合わせて見るように、と。

今日も。

 

 

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喜び歌う声があふれる家にしようと

御救いを喜び歌う声が
主に従う人の天幕に響く。
主の右の手は御力を示す。
主の右の手は高く上がり、
主の右の手は御力を示す。
1181516

 

 主において常に喜びなさい。
重ねて言います。
喜びなさい。
フィリピ書4:4

 

 使徒16:9~15
 ロマ書3:1~20(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句1/28;月)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方の
右の手は高く上げられ、
力ある働きをし、
ご自身の御力を示されるのですね。

 

 それで、その御業、御救いを受けた者たち家には、
喜び歌う声が響くようにしてくださるのだそうです。
ご自身に従う者たちを喜びに満ちあふれさせてくださって。

 

 パウロやルカたちを
エーゲ海を渡ってマケドニアのピリピへ導き、
パウロの語る言葉を聞いていたルデヤの心を開いて
パウロの語る事に心を留めさせ、
彼女とその家族がバプテスマを受け、
喜びに満ちあふれてパウロたち一行を家に泊め、
ピリピ教会の礎となさったように(使徒16:9~15)。

 

 私たちは、罪の下にある者で、
律法を行なうことによっては、罪の意識が生じるのみで、
「義人はいない。
ひとりもいない。
悟りのある人はいない。
神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、
みな、ともに無益な者となった。
善を行う人はいない。ひとりもいない」
ことが明らかになるばかりの者です(ロマ書3:9~20)。

 

 それで、天の神、主は、
私たち人間の働きに期待せず、
ご自身の側で、
御子イエスが受けられた十字架刑での処刑と
死人の中からの復活によって
私たち人間の救いを用意し、
恵みのプレゼントとして
なんの功績もない私たちに与えようとしていてくださるのだそうです。

 

 私たちの〔生まれたときからの私〕と言う霊を
エスに合わせて、
処刑されたもの、死んだものとし、
私たちの「的外れ」、背きの責任が果たされたことに
してくださるのだそうですから。

 

 そのうえで、
天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の方、
妬むほどに愛しておられる〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださって、
受け入れる者の心に、ご自身の御思いを置き、書きしるして、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思う者、
心を一つにし、ご自身がしようと思うことをしていく者に
してくださるのだそうですから(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 喜び歌う声が満ちあふれる家に。
今日も。

 

 

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門は、開かれているのだそうです。私たちの前に

人々は、
東から西から、また南から北から来て、
神の国で宴会の席に着く。
ルカ13:29((1/27の週の聖句)

 

 あなたの仰せによりすがらせ、
命を得させてください。
私の望みを裏切らないでください。
詩119:116

 

 キリストの言葉:
見よ、
わたしはあなたの前に門を開いておいた。
だれもこれを閉めることはできない。
あなたは力が弱かったが、
わたしの言葉を守り、
私の名を知らないと言わなかった。
黙示録3:8

 

 マタイ8:5~13
 詩107:23~43(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/27;Ⅳ日曜)

 

 神の国での宴会には、多くの人々が、
東から、西から、また南から北から、
あらゆる部族、国語、民族、国民の中から集まり(黙示録
59)、
その席に着くのだそうです。
天の神、主の言葉によりすがり、
いのちをいただいた人々が。

 

 天の神、主は、
約束され、私たちに与えたこの望みを裏切り、
ことばだけに終わって、
望みをかけた私たちが恥をかくようなことはなさらないのですね。

 

 イエスは、私たちの前に
その門を開いていてくださるのだそうですから。

 

 その門は、人の目には貧弱で、
あまり人が入ろうとしない
狭い門に見えるかもしれませんが(マタイ7:13)。

 

 だから、約束のことばを通り過ぎてしまわないように、
「イエスのもの」の位置から外れないように、
と言われるのですね。

 

 私たちの身代わりになり、
私たちの「的外れ」の責任をご自身の身に背負って
十字架刑で処刑されたこのイエスこそ、
「聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持っている方、
彼が開くとだれも閉じる者がなく、
彼が閉じるとだれも開く者がない方」(黙示録3:7)。

 

 すべてのものは、
この方のことばに従うのだそうですから(マタイ8:5~13)。

 

 この方が、
苦しむ者の叫びを聞いて嵐に命じると嵐は静まり(詩篇107:23~30、マルコ4:39)、

 

 祝福を命じられると、
荒野は水のある沢に、
砂漠は水の湧き上がるところに変わるのだそうですから(詩篇107:33~38)。

 

 なんの功績もなく、資格もない私たちにも、
ご自身の側の恵み、憐みによって、
神の国の宴会の席を用意していてくださるのだそうですから。
この新しい週も。

 

 

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神から来る誉れを待ち望みながら

見よ、
主にささげられたこの都が
再建される日が来る、
と主は言われる。
エレミヤ書3138

 

 人々は、
諸国の民の栄光と誉れを携えて
都に来る。
黙示録21:26

 

 申命記33:1~4(7、12~16)
 ロマ書2:17~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/26;土)


 主にささげられたこの都、
エルサレムが再建される日が来る、
と天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は言われるのですね。

 

 諸国の民が、都の光によって歩み、
地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
都の門は一日中決して閉じることがない。
そこには夜がないからである。
こうして、人々は
諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る(黙示録21:24~26新改訳)
ようになるのだそうですから。

 

 モーセが、その死を前にして、
イスラエル人を祝福した言葉のように。

 

 「主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は
シナイから来られ、
セイルから彼らを照らし、
パランの山から光を放ち、
メリバテ・カデシュから近づかれた。
その右の手からは、
彼らにいなずまがきらめいていた。
まことに国々の民を愛する方、
あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちがいる。
彼らはあなたの足もとに集められ、
あなたの御告げを受ける。
モーセは、みおしえを私たちに命じ、
ヤコブの会衆の所有とした」(申命記33:1~4)と。

 

 そして、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、
外見上のからだの割礼が割礼なのでもなく、
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、
文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ
真の割礼であり、
その誉れは、人からではなく、神から来るのですから。

 

 私たちも、イエスにあって、
その時を、
その都を望み見ながら。
今日も。

 

 

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栄華を極めたソロモンよりも素晴らしく

主よ、
御業はいかにおびただしいことか。
あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。
地はお造りになったものに満ちている。
10424

 

 イエスの言葉:
野の花がどのように育つか、
注意して見なさい。
働きもせず紡ぎもしない。
ソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
マタイ6:28~29

 

 エレミヤ書14:1~9
 ロマ書2:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/25;金)


 ダーウィンは、個体のレベルで優劣を考え、
進化を考えたのでしょうが、
これを、細胞のレベル、
遺伝子のレベルまで見られるようになると、
原生動物と呼ばれているものも、
すばらしい知恵によってなっていることが解るようですね。

 

 この地球は、天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方によって
造られたものに満ちているのですから。

 

 野のゆりでさえ、
その美しさはソロモン王の栄華よりもすばらしいのですから。

 

 この方は、時にかなって雨を降らせて地を潤し、
植物が、そして動物が育つように配慮しておられるのですね。

 

 そして、「的外れ」となり、
背信がはなはだしく、
自分で立ち帰る力の無い私たちのために、
ご自身が私たちの中に来てくださって救いを用意し、
私たちが御名をもって呼ばれることができるようにしてくださり(エレミヤ14:1~9)、
受け入れる者を、
御名で呼ばれる者にふさわしく、
ご自身と思いを同じくし、
心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。

エスによって
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって。

今日も。

 

 

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さまよい出て、失われていた私たちを捜し出して

わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。

それは彼らとの永遠の契約となる。エゼキエル書37:26

 

 キリストはおいでになり、

遠く離れているあなたがたにも、

また、近くにいる人々にも、

平和の福音を告げ知らせられました。エフェソ書2:17

 

 ガラテヤ書5:1~6
 ロマ書1:18~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/23;水)


 彼らは泣きながら帰って来る。
わたしは彼らを慰めながら導き、
流れに沿って行かせる。
彼らはまっすぐな道を行き、
つまずくことはない。
わたしはイスラエルの父となる。
エレミヤ書31:9

 

 人の子は、
失われたものを捜して救うために来たのである。
ルカ19:10

 使徒15:22~31
 ロマ書1:24~32(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/24;木)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちと新しい契約を結んでくださるというのですね。
平和の契約、永遠の契約を。

 

 自分の罪過と罪との中に死んでいて、
それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、
空中の権威を持つ支配者として
今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいた私たち。

 キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みなく、神もない者であった私たちとも。

 

 十字架刑での処刑を受けられ、
墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ神の国について語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスを通して来られる〔聖である霊〕と呼ばれる方が
私たちの心にも、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
書きしるしてくださって、
私たちが〔父である神〕と一つ思い、
一つ心になって生きるようにしてくださるのだそうですから。

 

 神に対立、対抗している私たちの心を、
神との平和な関係に。

 

 律法的生き方によって自分の義を立て、
自分の力、自分の功績で神の前に立とうとする生き方から、
自分には何にもないまま、神に信頼し、
神の恵みをいただいて、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
義をいただく生き方に切り替えていただいて(ガラテヤ5:1~6)。

 神の子の身分をいただき(エレミヤ31:9)、
エスと同じように、
〔父である神〕に、
「アバ、父」と呼びかけながら(ロマ8:15)。

今日も。

 

 

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二心を単一にして、帰って来てほしいのだそうですね。天の神、主は

あなたがあなたの神、
主のもとに立ち帰るなら、
主はあなたの運命を回復し、
あなたを憐れんでくださる。
申命記3023

 

 神に近づきなさい。
そうすれば、神は近づいてくださいます。
罪人たち、手を清めなさい。
心の定まらない者たち、
心を清めなさい。
ヤコブ書4:8~9

 

 ロマ書9:31~10:8
 ロマ書1:8~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/22;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たち人間を憐れんで、
私たちを回復しようと思っていてくださり、
ご自身に立ち帰るよう、呼びかけていてくださるのだそうですね。

 

 二心を単一な心にして、
苦しい時は思いっ切り苦しいだけに、
悲しい時は思いっ切り悲しいだけに、
泣きたいときは思いっ切り泣きたいだけに成り切って、
ご自身の前に出て来るようにと。

 

 自分自身には、神の前に出られる義はないことを認めて、
御子イエスの義を着せてくださると約束していてくださる、
エスを死者の中からよみがえらせてくださった方に信頼して(ロマ9:31~10:8)。

 

 このイエスによる良い知らせは、
全世界に伝えられ、
信頼するすべての人を義とし、
生かしているのだそうですから(ロマ1:8~17)。
神に立ち帰らせて。
今日も。

 

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