風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

自由意思で、自分から進んで、自発的に、を喜ばれる方に

モーセを通じて主が行うようお命じになったすべての仕事のために、
進んで心からするイスラエルの人々は、男も女も皆、
随意の献げ物を主に携えて来た。出エジプト記35:29

 与えよ。そうすればあなた方にも与えられる。
押し入れ、ゆすり入れ溢れるほどに懐に入れてもらえる。
あなた方は自分の量る秤で量り返されるからである。
ルカ6:38

 マタイ9:27~34
 民数記13:1~3、17~33(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/4;月)

使徒パウロは、弟子のピレモンに書き送っています。
「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、
  ~~
あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。
それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、
自発的でなければいけないからです」(ピレモン書8、14)と。

エジプトを脱出したイスラエルの民は45日ほどかかって、シナイ山のふもとに着き、宿営したのだそうです(出エジプト19:1~2)。
そして、その山で、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方のおことばを聞き、
「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います」と答えて(19:8、24:2、7)、
神の民となる契約を結んだのだそうです。

そして、主が示されたとおりに、「会見の天幕」を建設するのですが、
感動した者と、心から進んでする者とはみな、
会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、
主への奉納物を、自発的に持って来たのだそうです。

エスは仰るのですね。「与えなさい。そうすれば与えられます。
自分で量った秤で量り返されるから」と。

ガリラヤ地方でのこと、イエスが、会堂管理者の家に行き、死んだ娘を生き返らせたあと、
道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、
ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来たのだそうです。
家に入られると、その盲人たちが御許にやって来たので、
「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言ったので、
エスは彼らの目にさわって「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われたのだそうです。
すると、彼らは見えるようになったのだそうです。
エスは彼らをきびしく戒めて、
「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われたのですが、
彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言い広めた(新共同訳)のだそうです。
見えるようにしてもらった喜びと感謝で、言わないではいられなかった、のでしょうね。

けれども、イエスに反対する人たちは、これらのイエスのなされることを「悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出しているのだ」と言ったのだそうです(マタイ9:27~34)。

エジプトを出て、パランの荒野に着いたイスラエルの民に、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、モーセに告げて仰せられたのだそうです。
「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ。
父祖の部族ごとに一人ずつ、みな、その族長でなければならない」と。

 40日かかって、その地を偵察してきた族長12人は、カデシュにいる民のところに帰って来て、
エシュコルの谷で切り取り、二人が棒でかついで来た一ふさのぶどうやざくろやいちじくを見せ、
「そこはまことに乳と蜜が流れています。これがそこの果物です。
しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、
そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。
ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、
海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます」と報告し、
そのうちの10人は、「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから」と言って民の心をくじいたのだそうす。
それで、民は、「さあ、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろう」と言い出したのだそうです(民数記13:1~3、17~14:4)。

このように、〔聖である霊〕と呼ばれる方が、私たちの心に〔父である神〕の御思いを置き、感じさせてくださる時、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、私たち自身、〔生まれた時からの私〕という霊は、自分の理性による善悪の判断を神の御思いよりも先立てて、神に従おうとしないもの、のようです。

だから、その、私自身、〔生まれた時からの私〕という霊を、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、死んだものとしていただき、
〔聖である霊〕と呼ばれる方の導きについて行こうと勧められているのですね(ガラテヤ5:24~25)。
私たちの自由意思で、自発的に、自分から進んで。
今日も。

 

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