風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

多く与えられた者は、多く求められる、のだそうですから

天は主のもの、地は人への賜物。詩115:16


 多く与えられた者は、多く求められる。ルカ12:48


 申命記26:1~11
 民数記23:13~30(通読箇所)
    (ローズンゲン日々の聖句9/18;月・祝)

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、私たちが住んでいる、この天と地、宇宙を、ご計画をもって創造された方なのだそうです。
これを茫漠としたものに創造せず、人の住みかにこれを形造られ(イザヤ45:18)、
私たち人間に賜(たまわ)ったのだそうです。

多く与えられた者は、多く求められるのだそうですが、
それだけ、私たち人間に対する期待が大きいということなのでしょうね。

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、モーセをとおして、約束の地を目の前にしたイスラエルの民に重ねて言われます。
「あなたの神、が相続地としてあなたに与えようとしておられる地に入って行き、それを占領し、そこに住むようになったときは、
あなたの神、が与えようとしておられる地から収穫するその地のすべての産物の初物をいくらか取って、かごに入れ、あなたの神、が御名を住まわせるために選ぶ場所へ行かなければならない。
そのとき、任務についている祭司のもとに行って、
『私は、が私たちに与えると先祖たちに誓われた地に入りました。
きょう、あなたの神、に報告いたします』と言いなさい。

 あなたは、あなたの神、の前で、次のように唱えなさい。
『私の父は、さすらいのアラム人でしたが、わずかな人数(70人、創世記46:27)を連れて、エジプトに下り、
そこに寄留しました。
しかし、そこで、大きくて強い、人数の多い国民(徒歩の壮年の男子だけで約60万人、出エジプト12:37)になりました。

 エジプト人は、私たちを虐待し、苦しめ、私たちに過酷な労働を課しました。
私たちが、私たちの父祖の神、に叫びますと、は私たちの声を聞き、
私たちの窮状と労苦と圧迫とご覧になりました。

 そこで、は力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力と、しるしと、不思議とをもって、私たちをエジプトから連れ出し、この所に導き入れ、乳と蜜の流れる地、この地を私たちにくださいました。
今、ここに私は、、あなたが私に与えられた地の産物の初物を持ってまいりました。』

 あなたは、あなたの神、の前にそれを供え、あなたの神、の前に礼拝しなければならない。
あなたの神、が、あなたとあなたの家とに与えられたすべての恵みを、
あなたは、レビ人(神に直接仕える部族として、土地は与えられなかった)
およびあなたがたのうちの在留異国人とともに喜びなさい」(申命記26:1~11)と。


それで、モアブの王バラクが、目の前まで来たイスラエルを呪おうと、
ユーフラテス河畔のペトルから、占い師バラムを呼び寄せた時も、
天の神、は、バラクから多くの報酬を差し出されて心動くバラムが、イスラエルを呪うことを許さず、
かえって、祝福の言葉を述べるよう導かれたのだそうです(民数記23:13~30)。

 

 

 天の神、、「『私はある』という者」と名乗られる方は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」(創世記3:5、22)になっていて、「的外れ」になっている私たちをも、なお、愛し、惜しんでくださって、
〔御子である神〕、イエスの十字架刑での処刑を通して来て下さる、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たちの心にご自身の御思いを置いてくださって、
私たちを、「われわれのかたちとして、われわれに似せた」ものに回復して、
ご自身と思いを一つにし、行動を一つにし、存在を一つにする者(ヨハネ17:21~24)とし、
御思いを受けて、御思いと一つ心になって、各自に与えられた能力、分に応じて、この地を統治していくように(創世記1:26)、と期待してくださっているのですね。
今日も。

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