風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちのただ中に住んでくださって

娘、シオンよ、
声をあげて喜べ。
わたしは来て、あなたのただ中に住まう、
と主は言われる。
ゼカリヤ書2:14(新改訳では2:10)

 神は、独り子をお遣わしになりました。
その方によって、
私たちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛が

私たちの内に示されました。Ⅰヨハネ4:9

 ガラテヤ書3:6~19
 ホセア書2:1~3(新改訳1:10~2:1)(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/22;金) 

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
私たちを愛してくださって、
私たちとひとつ家族となり、
いっしょに住んで、
心を一つになる関係になりたいと思っていてくださるようですね。

 そのために、独り子である方が、
アダムの背き、「的外れ」を引き継がない「女の子孫」として、
処女マリヤの胎を通して
人として、人の世に生まれられたのだそうです。

 そして、この方がおよそ33歳の頃、
私たちの身代わりとなり、
私たちの背き、「的外れ」の責任をご自身に負って、
神に呪われた者となって木にかかり(申命記21:23、ガラテヤ3:13)、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 そして、「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」(創世記3:5、22)、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済みのもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、受け入れる者にもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって(ガラテヤ3:14)、
この方が、私たちの心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 それで、受け入れる者は、心に
〔父である神〕の御思いを持つ者にしていただけるのだそうです。
愛によって、心を一つにする者に、
私たちの思いが神のうちにあり、
神の御思いが私たちのうちにある(Ⅰヨハネ4:13)ように。

 「生ける神の子ら」と言われ、
「わたしの民」、
「愛される者」と言われる者に(ホセア2:1~3、新改訳1:10~2:1)。

 私たち、イエスによって、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
〔父である神〕の御思いを置いていただくのですね。
 私たちと、思いを一つにしたいと思っていてくださるのだそうですから。
 今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)