誰もとどめ得ない御手の方が、私たちの味方に
万軍の主が定められれば、
誰がそれをとどめえよう。
その御手が伸ばされれば、
誰が引き戻し得よう。イザヤ書14:27
もし神が私たちの味方であるならば、
だれが私たちに敵対できますか。ロマ書8:31
マタイ6:6~13
創世記11:1~9(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句1/19;土)
天使の万軍を率いておられる方、天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方が
なさろうと思われることをとどめることができる者は、
誰もいない、のですね。
そのなさることを引き戻すことができる者も。
あの、神に逆らい、対抗して、
自分たちが全地に散ることがないようにと、
バベルの塔を建てていた人々の言葉を混乱させ、
通じないようにして、
人々を全地に散らされたときのように(創世記11:1~9)。
その方が私たちの味方であるなら、
私たちに敵対できるものも、誰もいない、
と使徒パウロは言うのですね。
それで、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心にも、
「御名があがめられますように。
みこころが天で行われているように、
地でも行なわれますように」(マタ6:6~13)
と願う思いを置いてくださるだそうです。
今日も。
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