風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

財宝を多く持てば、恐怖も多くなるのですから

財宝を多く持って恐怖の内にあるよりは、
乏しくても主を畏れるほうがよい。
箴言15:16

 

人は、
たとえ全世界を手に入れても、
自分の命を失ったら、
何の得があろうか。
マルコ8:36

 

 ヘブル書13:1~9b
 エレミヤ書41:1~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句11/11;水)

 


 人の心はひるのように飽くことを知らないもののようです。
持てば持つほどもっと欲しくなって。

 

 けれども、多くの財宝を持てば、
それだけ、不安や恐怖、混乱が増します。

 

 だから、それよりも、
乏しく、わずかな物を持っているだけであっても、
主を畏敬し、平安の内にいるほうが幸せだ、というのですが。

 

 イエスは言われます。
「人は、たとえ、全世界を手に入れても、
自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか」と。

永遠の世界に生きるいのちを手にいれなさい、と。

 

 

 イエス・キリストは、
昨日も今日も、とこしえに代わることのないお方。

 

 私たちの背き、「的外れ」の責任を御自身の身に負って、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑が終わった者、死んだものとしてくださり、

 

 天の、【父である神】の右の御座にあって、
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方を
派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって
【父である神】の御思いを私たちの心に置き、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が
【父である神】と思いを一つにして生きるように、と。

 

 【父である神】の、
兄弟愛をいつも持ち、
旅人をもてなし、
牢にいる人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、
虐げられている人々を思いやる思い、

 

 結婚を尊び、姦淫によって寝床が汚されることをいとう思い、
金銭を愛する生活をせず、
今持っているもので満足する思いも。

 

 「わたしは決してあなたを見放さず、
あなたを見捨てない」とおっしゃってくださって、
 

「主は私の助け手。私は恐れない。
人が私になにができるだろうか」との確信も。

 

 また、神のことばを私たちに語った
指導者たちのことを、覚え、
彼らの生き方から生まれたものをよく見て、
その、神との信頼関係にならう思いも。

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)と思いを一つにし、
心を一つにしていく信頼関係、
それが死の向こう、
永遠の世界に持っていける唯一のもの、
なのだそうですから。(Ⅰコリント15:50)

 

 この方の御思いのとおりに歩む一日を。

今日も。

 

 

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