風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

出会うのですね、あの方に。苦しみや悲しみをとおして

苦難の襲うとき、

私は

主を求めます。

 

夜、

私の手は

疲れも知らず

差し出され、

 

私の魂は

慰めを

受け入れません。

詩編77:3
 

 

 

悲しむ人々は、

幸いである。

 

その人たちは

慰められる。

マタイ5:4
    (ローズンゲン日々の聖句7/2;月)

 

 

 

苦難の日に

手を差し延ばす相手は

誰。

 

受け止め、

慰めてくれるのは。

 

悲しみを

そのままに

あの方の前に注ぎだすとき、

 

 

あの方は

親しく聞いて、

お声をかけて下さるのですね。

優しく。


 

自分の、

悲しむべき実態に気がついたとき、

自分で自分を

悲しむべき状態ではなくする必要はないのだそうです。

 

むしろ、

悲しみを

悲しいままに、

あの方の前に差し出すことを

あの方は喜ばれるのだそうです。


差し延ばすあなたの手を、

あの方は

しっかり握って下さるのだそうですから。

 

今日も。
 (昨日、火曜日の分を載せてしまいました。)

 

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