風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

最も小さい者を大事にする思いが来るのだそうですね。私たちにも

死に捕えられている人を

救い出さず、

 

殺されそうになっている人を

助けず、

 

「できなかったのだ」などと

言っても、

心を調べる方は

見抜いておられる。

箴言24:11〜12  

 

 

イエスの言葉:

はっきり言っておく。

この

最も小さな者の一人に

しなかったのは、

 

わたしにしてくれなかったこと

なのである。

マタイ25:45

 

 

(ローズンゲン日々の聖句7/25;金)  

 

 

捕えられ、殺されようとしている者を

救い出し、

 

虐殺されようとしている貧困者を

助け出して欲しいのだそうです。

あの方。

 

もし、

知らなかった、

できなかったと

言い訳をしても、

 

あの方は、

私たちの心を

見抜いておられるのだそうです。

 

 

確かに、

私という生まれた時からの霊から来る思いは、

りっぱな服装をした人には、

「あなたは、

こちらの良い席にお坐りなさい」と

言い、

 

貧しい人には、

「あなたは、

そこで立っていなさい。

でなければ、

私の足もとに座りなさい」

(ヤコブ2:2~3)

という思いが

あるのですね。

 

上辺だけは

公平そうに振舞えても、

 

あの方は

心を

調べる方

なのだそうですから。

 

それで、

あの方は、

私たちの心を

一新しようされ、

 

そのために

私たちの霊を入れ替えるよう

準備され、

 

ついに、

そのご計画の時が来て、

それを

実行されたのだそうです。  

 

永遠の初めから

共におられた

御子である方を、

人間イエスとして

人間の世に生れさせ、

 

およそ33歳の頃、

この方を十字架刑で処刑することで、

私たち、

すべての人間の刑罰は

終ったものとし、

 

「生まれた時からの霊」と呼ばれる

私たち自身を

死んだもの、

処刑された者として、

 

私たちの死亡手続きを

完了して下さっているのだそうです。  

 

墓に葬らせ、

3日目に死人のうちからよみがらせ、

40日に渡って

何度も弟子たちに

ご自身を示させて、

 

確かに復活したことを見せたうえで、

弟子たちの見ている前で

天に帰らせ、

 

天の御自身の右の位に

就かせられた

あの方は、

 

今度は、

その御子である方を通して、

もう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方を

私たちのうちに派遣されて、

 

この方によって、

ご自身の思いを

私たちの心に置くように

して下さるのだそうです。

(エゼキエル36:27)

 

それで、

私たちの心にも、

弱い者、貧しい者を思いやる、

あの方の思いが

来るようになるのだそうです。

 

 「生れた時からの霊」という私は

死んだものと認め、計算し、

 

その新しい思いに

ついて行って欲しいのだそうです。

 

羊が

自分の羊飼いの声を聞き分けて、

自分の羊飼いについて行くように。

 

今日も。

 

 

 

 

 

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