風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

最初の関係に取り戻して下さっているのだそうですね。私たちを

わたしは彼らの悪を赦し、
  再び彼らの罪に心を留めることはない。エレミヤ書31:34

 

 

天使はヨセフに言った。
  「マリヤは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。...
   この子は自分の民を罪から救うからである。マタイ1:21


 

    (ローズンゲン日々の聖句12/19;金)

 

 

 

 思いを一つにするという、天の神、主とのあるべき関係に戻るので、

罪(的はずれ)を思い出すことはなくなるのだそうです。

 

 人間が自分の力で戒めを守り、天の神、主と思いを一つにする関係に戻れるかどうかという、

モーセ以来、800年にわたる神の民イスラエルによる実験において、いよいよ背きが極まり、

バビロン軍を用いて国を滅ぼすしかないということになった時点での、新しい契約の予告なのだそうです。

 

 

 「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない教えない。

それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。」(エレミヤ31:33~34)

 

 

 「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。

~~わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしの掟に従って歩ませ、

わたしの定めを守り行わせる。」(エゼキエル36:26~27)

 

 

 「わたしの霊」、「聖である霊」と呼ばれる方を私たちの魂のうちに派遣し、

そのお方によって「父である神」と呼ばれる方の御思いを私たち人間の心に置き、書きしるし、

「父である神」と一つ思いを思う者にして下さるというのですね。

 

 これは、人間創造の前、天地宇宙創造の前から予定されていたことなのだそうですが、

ただ、「聖である霊」と呼ばれる方が私たち人間のうちに来るためには、

人間の背きの罪の処分がなされなければならないのだそうです。

「聖である霊」と呼ばれる方が罪の残っている人間のところに来られたなら、

人間は滅びるしかないのだそうですから。

 

 

 それで、まず、「御子である神」が、人間の世に人間として来て、

人間の罪のすべてを引き受けて、処刑されるという計画が了承されていたのだそうです。

 

 そして、いよいよ、ご計画の時が満ちて、「御子である神」が

女の子孫として処女マリヤを通し、人間イエスとして人の世に来られ、

およそ、33歳の頃、十字架刑によって処刑されて下さり、

私たち人間の「生まれたときからの霊」を処刑された者として下さったのだそうです。

 

 御子イエスによる、私たちの処刑の手続きが完了したうえで、

イエスの弟子たちのうちに「聖である霊」と呼ばれる方が来て下さり、

弟子たちは「聖である霊」が話させて下さるとおりに話すようになり(使徒2:4)、

「父である神」が思っておられる思いを思うようにしていただき、

「父である神」がその人を通してしようと思われることをしていく者に(ヨハネ14:12)していただいたのだそうです。

 

 

 そして、この約束は、単にイスラエルの民に留まらず、

すべての遠くにいる人々、私たちにまで与えられており(使徒2:39)、

2000年を経た今日、東の果てにいる私たちにまで実現するのだそうですね。

 

 

 イエスの十字架刑による処刑によって手続きが完了したこの新しい契約による、天の神、主との新しい関係。生きてみたいですね。

今日も。

 

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