風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

上からの知恵で生きて欲しいのだそうですね。私たちにも

今日、
あなたたちが神の声を聞くなら、
心をかたくなにしてはならない。
ヘブル書3:15
(今週の聖句)
 
 
主を畏れ敬うこと、それが知恵。
悪を遠ざけること、それが分別。
ヨブ記28:28
 
 
上から出た知恵は、
何よりもまず、純真で、
更に、温和で、優しく、従順なものです。
憐れみと良い実に満ちています。
偏見はなく、偽善的でもありません。
ヤコブ書3:17
 
          (ローズンゲン日々の聖句2/8;日)
 
 
 神の安息に入るための約束がまだ残っているのだそうです。
あの時、民は、約束の地を目前にして、
自分たちを
エジプトの奴隷の生活から引き出してくださった方のお言葉よりも、
自分の判断のほうを先立て、
お言葉に聞き従うことをしなかったのですね。
 
 アダムとエバが、創造主である神と心を一つにしていく歩みをやめ、
自分の理性の判断で善悪を決定する者となって以来、
私たち人間は、心かたくなな者、うなじの固い者となっているのですね。
 
主である方を軽んじ、
自分の判断を先立て、自分の心のままに生きる者に。
 
そして、自分を先立てていくところには、
苦いねたみと敵対心があり、
秩序の乱れや邪悪な行いがあるのだそうです。
 
 天の神、主は、私たち人間に、
上からの知恵で生きる者になって欲しいと
願って下さっているようですね。
 
 
 上からの知恵。
それは、天の神、主が差し出していて下さる、
イエスの十字架の死を私自身の死と受け取って、
天の父である神の右の座に戻られたイエスが派遣して下さる、
聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、
この方が私たち人間の心に置いて下さる思いを
私の思いとして行動して行くときに現れる知恵なのだそうです。
 
 その思いによって行動していくところに、
御霊の実と呼ばれるものが現れて来るのだそうです。
 
 
 それは、木にたとえて言うなら、
根をどこに張るかによって起こるちがいのようです。
 
生れたときからの私という霊から来る思いで生きるのか、
それとも、イエスの十字架の死を経て私たちに来て下さる
聖である霊と呼ばれる方から来る思いによって生きるのか
ということのようです。
 
 上から、天の神、主から出て、
聖である霊と呼ばれる方によって私たち人間の心に来る知恵は、
純真、温和、優しく、従順、憐れみと良い実に満ち、
偏見はなく、偽善的でもないのだそうですから。
 
 天の神、主は、私たち人間に、
この上からの知恵で生きていくようにと願って下さっているのだそうです。
この新しい週も。
 
イメージ 1