風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

懇願しておられるのだそうです。あの方。

天よ、喜び歌え、
地よ、喜び躍れ。
山々よ、歓声をあげよ。
主はご自分の民を慰め、
その貧しい人々を憐れんでくださった。
イザヤ書49:13

...

 すべての人々に救いをもたらす
神の恵みが現れました。
テトス書2:11
 
              (ローズンゲン日々の聖句6/26;金)
 天が喜び歌い、地が喜び躍り、山々が完成の声をあげる出来事が完成したのだそうです。
天の神、主がご自分の民を慰め、その貧しい者を憐れんで下さって、霊の貧しい者は幸いだというその出来事が。
 それは、恵みとして、こちら側の資格や功績、働きのない者に与えて下さる恵みのプレゼントとして、これを求める全ての人にただで与えていただける身分なのだそうです。
 天の神、主は、永遠の昔から一緒に居られ、一緒にこの天地、万物を創造され、一緒にこれを支え、保ってこられた方、独り子である神とか御子である神と呼ばれる方を、人間イエスとして人の世に派遣し、この方をの上に私たち人類のそむきの罪のすべて置いて、十字架刑で処刑して、まるで、出来損ないの陶器が地面にたたきつけられ、壊されて捨てられるように、あるいは、ゲヘナの谷で焼却処分されるエルサレムの生ごみのように扱って、私たちのそむきの罪を処刑済みにして下さったのだそうです。
 それは、天使の万軍もかたずを飲んで見守るような、驚きの出来事だったようですね。
 そのうえで、天の神、主は、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を私たち一人ひとりの内に派遣して、この方によってご自分の御思いの私たち一人ひとりに関わる部分を、私たちそれぞれの心に書き記して下さって(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26)、私たちと思いを一つにし、行動を一つにし、栄光をひとつにしようとしていて下さるのだそうです(ヨハネ17:21~22)。
   これは、私たち人間だけにとどまらず、天地万物も切実な思いでうめきながら待ち望んでいる出来事なのだそうです(ロマ8:19~22)。
 
 それで、呼びかけて下さっているのだそうですね。
心の向きを変えて、帰って来て欲しい。
一つ家族として、心通じ合う者になって欲しい。
今日起こる一つ一つの出来事を、ご自分と相談しながら、心を合せながらやっていく関係に戻って欲しいと。
今日も。
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