風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

新しい契約に生きる

主よ、
 御目は、真実を求めておられるではありませんか。エレミヤ書5:3

 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、
 思い出しなさい。
彼らの生涯の終わりをしっかり見て、
その信仰をみならいなさい。ヘブル書13:7

      (ローズンゲン日々の聖句8/15;土)

 ソドム滅亡のとき、主はアブラハムに10人の正しい者がいればソドムを滅ぼすまい、と言われたのだそうです(創世記18:16~33)。
  歴史が下ってエルサレム滅亡のとき、主は、公義を行い、真実を求める者が一人でもいれば、エルサレムを赦そうと思われたのだそうですが、一人もなく、彼らを打たれたのに、彼らは痛みもせず、彼らを絶ち滅ぼされようとしたのに、彼らは懲らしめを受けようともせず、顔を岩よりも堅くし、悔い改めようともしなかったのだそうです(エレミヤ5:1~3)。
  それで、北王国イスラエルアッシリア帝国を用いて打たれた主は、ついに、南王国ユダもバビロン帝国を用いて打とうとなされるのですが、そのとき、今度は、人間の側のいっさいの働き、努力によらず、ただ、天の神、主の一方的な働きによりなったものを恵みのプレゼントとして提供する救いを約束されたのですね。
  新しい契約、それは、「主は、ご自身の律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす」(エレミヤ31:31~34)というものであり、「新しい霊、わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる」(エゼキエル36:25~28)というものでした。
  そのときから、さらに700年ほど歴史は下り、いよいよご計画のときが満ちて、天の神、主は、永遠の昔から、天地が造られる前からずっと共におられた方、御子である神と呼ばれる方を人間イエスとして人の世に生まれさせ、この方に人類のそむきの罪のすべてを背負わせて、十字架刑で処刑し、私たちすべての人間、その一人ひとりの処刑済みの手続きを済ませて下さったのだそうです。
  そのうえで、墓に葬られたこの方を三日目、日曜日の早朝に復活させ、40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、生きていることを見せて、イエスの復活の証人として立てたうえで、彼らの見ている前で、オリーブ山から天に帰されたのだそうです。
  それから10日後、旧い契約が結ばれた、律法授与の記念日の祭り、5旬節(ペンテコステ)の日に、約束の、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、待ち望んでいた120人ばかりの弟子たち、一人ひとりのうちに派遣し、弟子たちの心にご自身の御思いを置き、弟子たちが、心の置かれた御思いのままに話し出すことになり、約束の新しい契約がこの歴史の中に実現したのですね(使徒2章)。
  その日、ペテロをはじめ弟子たちのその話を聞いて、心を天の神、主のほうに向き直り、イエス・キリストの名によってバブテスマを受け、プレゼントとして聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、この新しい生き方を始めた者が、成人男子だけで3000人ほど起こされたのだそうです。
  それ以後、このユダヤエルサレムで始まった新しい契約の流れは2000年流れ続け、今や全世界をおおい、私たちにまで届いているのですね。
みことばを語った指導者たちが生涯を歩み通した、聖である霊と呼ばれる方によって、天の神、主の、私たち一人ひとりに思っておられる御思いが私たちそれぞれの心に来て、私たちが、天の神、主と心を一つにし、思いを一つにして生きるという新しい契約、新しい生き方が。
 今日も。


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