風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

無償で、誰でも、新しい生き方が、もらえるのだそうです

私の心を潔白にした、と誰が言えようか。
 罪から清めた、と誰が言えようか。
箴言20:9
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
 ただキリスト・イエスによる贖(あがな)いの業を通して、

 神の恵みにより無償で義とされるのです。ロマ書3:23〜24
      (ローズンゲン日々の聖句10/15;木)
  自分で自分のことを潔白にしたとか、罪から清めたとか言い得る人はいないのだそうですね。
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、神の戒めを自分の力で行おうとしても、だれ一人及第点に達する者はいないのだそうです。
戒めによっては、かえって罪の意識が生じるばかりなのだそうです。
 それで、天の神、主は、預言者と旧約聖書で予告しておられたとおりに、私たちを受け入れることができる道を御自身の側で開いて下さったのだそうです。
 それは、天地の造られる前から共におられ、一緒に天地の創造にたずさわって来られた方、独り子である方を、人の世に、人間イエスとして生まれさせ、罪のないこの方を十字架刑で処刑することで、私たち一人ひとりの罪を処刑済みにし、そのうえで、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる一人ひとりのうちに派遣してくださって、この方の働きで、受け入れる者の心に、御自身の思いを書き付けて下さり、私たち一人一人が、御自身と心を一つにして生きる、という本来の在り方、義を私たちにもたらしてくださるのだそうです。
 信頼して、これを受け入れるかどうかだけ。求めるすべての人に与えられ、何の差別もないのだそうです。
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖(あがな)いのゆえに、無償で義と認めていただけるのだそうです。
天の神、主と関わりを持ちながら生きる、新しい生き方が始まるのだそうですね。
必用の一つ一つを、その時、その時に満たしていただき、人々が意味のある生活に立ち返るお手伝いをし、病人を癒し、解放する働きに参加させてもらえるのだそうです。(マルコ6:7~13)。
今日。
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