風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私の苦しみ、思い煩いを知って、とこしえの道に導いてください。

神よ、
 私を究め、私の心を知ってください。
  私を試し、悩みを知ってください。
   御覧ください、私の内に迷いの道があるかどうかを。
 どうか、私を、とこしえの道に導いてください。詩編139:23~24
 
信仰によって
 あなたがたの心の内に
  キリストを住まわせてくださるように。エフェソ書3:17
 
          (ローズンゲン日々の聖句1/4;月)
 
 私たち、自分のことは自分が一番よく知っている、分かっていると思っていますが、
実は、自分のことも意外とわかっていないものなのですね。
 
 あの方は、私たちのことをよくご存じなのだそうです。
私がすわるのも、立つのも知っておられ、
私の思いを遠くから読み取られるのだそうです。
私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の道をことごとく知っておられるのだそうです。
なんと、ことばが私の舌にのぼる前に、
それをことごとく知っておられる方。
 
 その方は、私の内臓を造り、
母の胎の内で私を組み立てられた方。
私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、
私の骨組みはその方に隠れてはいなかったのだそうです。
その方の目は胎児の私を見られ、
その方の書物にすべてが、書き記されたのだそうです。
私のために作られた日々が、
しかも、その1日もないうちに。
 
 そのような方だから、私を探り、
私の気がつかない私の心を知ってくださるのですね。
私の悩み、思い煩いを知ってくださるのだそうです。
 
 そして、私たちの身代わりとなって十字架刑で処刑されたイエス、
墓に葬られ、三日目に死人の中よりよみがえり、
天の、父である神と呼ばれる方の右の座に着かれたイエス。
受け入れる者に、そのイエスの名によって派遣されて来る、
聖である霊と呼ばれる方が、私たちをとこしえの道に導いてくださるのだそうですね。
 
 だから、この方、十字架刑で処刑されたイエスの名によって来られる方、
聖である霊と呼ばれる方をお迎えし、
この方が私たち一人一人の心に書き付けてくださる御思いに
ついて行ってみるといいのだそうですね。
今日も。
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