風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「平和があるように」と、復活のイエスが、

災いの過ぎ去るまで、
  あなたの翼の陰を避けどころとします。詩編572
 
その日、すなわち週の初めの日の夕方、
  弟子たちはユダヤ人を恐れて、
    自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、
  「あなたがたに平和があるように」と言われた。ヨハネ2019
 
        (ローズンゲン日々の聖句3/29;火)
 
 イエスが十字 架刑で息をひきとられたのは金曜日の午後の3時頃だったそうです。
日没からは、過越しの祭りの、特に大事な安息日が始まるので、急いで、隠れ弟子であったアリマタヤのヨセフが自分のために掘ってあった墓に納めたのだそうです。
 
 そして、安息日(土曜日)が過ぎて、日曜日のこと、弟子たちは、自分たちも捕まりはしないかと恐れ、家の戸にしっかりと鍵をかけ、奥にひそんでいたようですね。
すると、そこに、閉めてある戸を通り過ぎて、イエスが入って来られ、「シャローム」と声をかけられたのだそうです。
 幽霊だと恐れている弟子たちに、イエスは、そこに残っていた魚の一切れを食べて見せて、ちゃんと身体があることを証明して見せたのだそうです。
 
 そこにいなくて、この話を聞いても信じられないトマスにも、復活されたイエスは現れてくださり、「あなたの指を、わたしの手の、十字架刑で開いた釘の穴に差し入れ、脇腹の、ローマ兵が突き刺した槍の後に触ってみなさい。信じない者にならないで信じる者になりなさい」と優しく証明してくださったのだそうです。
 
 このことでわかることは、受け取る者に与えていただける復活のからだは今のからだとは違う身体だということですね。
今のからだに蘇生するというようなものではなく、まったく新しい霊のからだなのだそうです。
病気になることもなく、死ぬこともない、天使のからだのよう、なのでしょうね。
 
 イエスの場合は、私たちが、「この方が私たちに代わって十字架刑で処刑されて下さった方だ」と分かるために、十字架刑での釘の穴、槍の後をそのまま残してくださっておられるようですが、私たちがいただく復活の身体は、父である神と呼ばれる方が一人一人にイメージしてくださっているとおりの、完全な身体なのでしょうね。
おそらく、30歳くらいの、力に満ちあふれた。
 
 そして、イエスが『シャローム」と言われる時は、単なる挨拶の言葉ではなく、本当に「平安」が来るのでしょうね。
ことばどおりの方なのだそうですから。
 
 イエスは、受け入れる者に、新しい霊のからだに復活する約束を与え、不安に恐れ、おじ惑うような状況にある人にも、平安を、平和を与えてくださるのだそうですね。
今日も。
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