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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

渇いた大地が、雨を吸い込むように

あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、
  あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。ルカ1016
 
 あなたに向かって両手を上げ、
渇いた大地のような私の魂を、あなたに向けます。詩編1436
 
 疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。マタイ1128
 
      (ローズンゲン日々の聖句5/29;日)
 
 自分は正しい、出来ていると思っている人は、潤った地のよう。
もう、雨はいらない。
だから、イエスのことばを受け入れないのですね。
 
 自分に正しいところがない、出来ていないと分かっている者は、乾いた地が雨を吸い込むように、イエスの恵みのことばに耳を傾けるのだそうです。
 
 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている者」は、天の神、主に対抗して、自分の理性の判断のとおりを、自分の思った通りをやって行きたい者です。だから、イエスと一緒にやって行くよりも、自分一人でやって行こうとする者。
 
 けれども、自分の理性、その善悪の判断は、ずれているもの、頼りにならないもの、自分を破滅に導くものと分かっている者は、自分の理性の判断を横に置き、イエスのくびきに入り(マタイ1129)、イエスに聞きながら、相談しながら、イエスとともに歩くことを喜ぶのだそうです。
 
 私たちの身代わりになり、私たちの背きの罪を背負って十字架刑で処刑され、よみにまで下り、三日目、日曜日の早朝、新しい身体に復活されたイエス。
 
 40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを証明されたうえで、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で天の父である神の右の座に帰られたイエス(使徒Ⅰ:3~11)。
 
 そのイエスが、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣して下さって、この方の働きで、受け入れる者の心に、父である神と一つ心になっていらっしゃる御自身の御思いを置いてくださるので、受け入れる者は、私たち一人一人に対する父である神の御思い、イエスの御思いが心に来るようになるのだそうです(ヨハネ16:7、13~15、エゼキエル36:25~28)。
 
 自分の理性の善悪の判断を休ませ、止めて、渇いた大地が、天を吸い込むように、天の神、主の善悪の判断、その御思いに聞いていかせてくださいますように。
この新しい週も。