風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天はわたしの王座、地はわたしの足台と言われる方が

互いに重荷を担いなさい。
  そのようにしてこそ、
    キリストの律法を全うすることになるのです。ガラテヤ書62
        (6/19の週の聖句)
 
 主はこう言われる。
天はわたしの王座、地はわが足台。
あなたたちはどこに、わたしのために神殿を建てるか。イザヤ書661 
 
 そのとき、
「見よ、ここにメシアがいる」
「見よ、あそこだ」と言う者がいても、
信じてはならない。マルコ1321
 
      (ローズンゲン日々の聖句6/19;日)
 
 わたしたちは、神のために何かをしてあげられる、と思っているのですね。
しかし、天の神、主は言われます。
「天はわたしの王座、地はわたしの足台。これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ」と。
私たち人間は、天の神、主が造られた、この方のものを管理している立場の者なのでしょうね。
 
 それで、天の神、主は言われます。
「わたしが心に留める者は、多くのもの、立派なものをささげる者にではない。
わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ」(イザヤ66:2)と。
 
 心高ぶり、自分を何か立派な者のように吹聴し、「自分こそメイア(キリスト、救い主)だと言い、人々を惑わし、滅びに引き込もうとする者が起こるとイエスは言われます。
霊的な摩訶不思議、奇蹟を行って人々を惑わし、自分に付き従わせようとするのだそうです。
だから、気をつけなさいとイエスは言われるのですね。
 
 「だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象が揺り動かされます。
そのとき、人々は、人の子(十字架に架かられ、復活したあのイエス)が、偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見る」ことになるのだそうです。
 
 そして、この方は御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民(イエスの十字架刑での処刑による赦しを受け取った者)を集めてくださるのだそうです。(マルコ132427)。
 
 だから、ほかのメシア(キリスト、救い主)を求める必要はないのだそうですね(ルカ71923)。
 
 この方が来られるその日が来るのを待ち望みながら、
互いの弱さ、重荷を担い合いながら、
「聖である霊」と呼ばれる方が、一人一人の心に置いてくださる、「父である神」と呼ばれる方が、私たち一人一人を通してしようと思っていらしゃる御思いをさせていただきながら進むのですね。
この新しい週も。