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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

死者を復活させて下さる方によって生きるようにと

主なる神、あなたは 
  大いなる力を振るい腕を伸ばして
   天と地を造られた。
     御力の及ばぬ事は何一つない。エレミヤ書3217
 
 私たちは自分に頼らず、
死者を復活させて下さる神を頼りにするようになりました。
 神は私たちを救って下さり、 これからも救って下さる。
私たちはこの神に希望をかけています。Ⅱコリント1910
 
      (ローズンゲン日々の聖句7/9;土)
 
 天の神、主、「わたしはあるという者」と名のられる方は、あろうとするとおりに在ることができる方、言われたとおりを実行される方、言ったけれども実行できないというような方ではないのだそうです。
 
 この人間の歴史を見守り、御思いのとおりに、ご計画のとおりに歴史を導かれる方なのだそうです。
私たちの目には、人間が自分勝手に歴史を作り出しているように見えますけれど。
 
 西暦紀元前586年頃のこと、
離反に離反を重ね、預言者をとおして立ち帰るようにとの天の神、主からの呼びかけにも応じず、自分の思ったとおりの道を行くユダの民。
 
 そして、ついにエルサレムもバビロン軍によって塁に塁を重ねて包囲され、まさに滅びようとしているそのとき、天の神、主、「わたしはあるという者」と名のられる方は、預言者エレミヤに言われたのだそうです。「あなたのおじのハナムエルが、あなたのところに来て、『私の畑を買ってくれ。あなたには買い戻す権利があるのだから』と言うから、みなの見ている前で、その畑を買い取り、その購入証書を土の器の中に入れ、保存せよ。
まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。再び、この国で、家や畑や、ぶどう畑が買われるようになるのだ」と(エレミヤ32618)。
 
 「見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、このところに帰らせ、安らかに住ませる。わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。
わたしがこの大きなわざわいをみな、この民にもたらしたように、わたしが彼らに語っている幸福もみな、わたしが彼らにもたらす」(エレミヤ323742)と。
そして、70年後に、約束のとおりに、イスラエルj地に帰還させてくださったのだそうです。
 
 私たち、「生まれたときからの霊」は、「神の一人のようになり、善悪を知る者」(創世記3:22)となっていて、私たち人間を造られた天の神、主に離反、対抗し、自分の思ったとおりを生きるばかりの者なのですね。
 
 天の神、主の怒りを身に積み、天の神、主からの良きものの一切から切り離され、本当に自分の力だけで生きなければならない、神なく、望みのない、滅びに向かって進むばかりの者なのだそうです。
 
 天の神、主は、私たちが、その自分自身である「生まれたときからの霊」に頼らず、イエスが私たちに代わって受けてくださった十字架刑での処刑を私自身である「生まれたときからの霊」の処刑と受け取って、「生まれたときからの霊」から来る思いを死んだ者から来る思いと認め、死者を復活させてくだる神、死者の中から最初に復活された方、イエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方から来る、「父である神」の私たち一人一人に思っておられる思いを私の思いとして生きる者になるようにと願っていてくださるのだそうです。
 
 「わたしはあるという者」、「わたしはあろうと思うとおりに在ることができる者だ」とおっしゃられ、この人間の歴史もご計画のとおりに導かれる方が。
今日も。