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風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩む者に

人よ、
 何が善であり、
  主が何をお前に求めておられるかは、
   お前に告げられている。
 正義を行い、
  慈しみを愛し、
   へりくだって神と共に歩むこと、
 これである。ミカ書68
 
 イエスの言葉:
わたしがあなたがたにしたとおりに、
あなたがたもするようにと、
模範を示したのである。ヨハネ1315
 
      (ローズンゲン日々の聖句7/30;土)
 
 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、ミカを預言者として立てて言われます。
 
私は何をもって主の前に進み行き、
いと高き神の前にひれ伏そうか。
全焼のいけにえ、1歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。
主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。
私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。
私の魂の罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。
主はあなたに告げられた。
人よ。何が良いことなのか。
主は何をあなたに求めておられるのか。
それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、
へりくだって
主とともに歩むことではないか」(ミカ668新改訳)と。
 
 イエスは、自分が、今夜、捕えられ、明日には十字架刑での処刑を受けることを見据えて、弟子たちの足を洗い、このように弟子たちもし合うようにと言い残されました。
 
 自分が、すべての人の身代わりになり、すべてのそむきの罪の責任を負って処刑されることによって、受け入れる者のそむきの罪が処罰を終えたものとなり、
もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださる道が開け、
 
 「聖である霊」と呼ばれる方は、受け入れる者の心に、ひとりひとりに思っておられる「父である神」の御思いを書き付けられるので、
受け入れる者は、この部分において、「父である」神と同じ思いを持ち、一つ心にしていただける(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:25~28)のだそうですから。
 
 受け入れる者は、「父である神」、「御子である神、イエス」、「聖である霊」と呼ばれる方の御思いを心に受けて、思いを一つにしながら、「へりくだって、神と共に歩む生き方を生きられるのだそうです。
 
 私たち、主人の心を知りながら、その思いどおりによういもせず、働きもしない者ですけれど、イエスによって、「生まれたときからの私」に死に、「聖である霊」と呼ばれる方によって新しく生まれた者とされた部分において、「主人から、その家のしもべたちを任されて、主人の思いのとおりに働く、忠実な、賢い管理人」(ルカ124248)のように生きられますように。
 
 また、イエスが、「父である神」の、死にかけている娘を持つ親の心を思いやってくださる御思いを受けて、12歳ほどの死んだ娘を生き返らせ、両親に返してくださったように(マルコ53643)、「聖である霊」と呼ばれる方は、受け入れる者を用いて、「父である神」がしようと思っておられることをしてくださる(ヨハネ1412、マタイ1078)のだそうですから、御思いのとおりに用いていただけるようにもなりますように。
今日も。